共存の意識

暑さのことを言ってばかり。そういえば昔、まだ冷暖房が不備な時代の話だが、ガマン大会の話題が取り上げられたものだった。長屋話にもあった気がする。
暑いと言ったら負け。しかも、火鉢やどてらを着込んで寒い寒いと言い合い、がまん強さを競い合うのだ。江戸っ子のやせ我慢というか、強がりというか・・・暑さを逆手にとって涼もうということなのか。


だが、昨今そんなことをしたら、即熱中症で死んでしまう。根性がなくなったのか、それとも気候が変っているのか・・・。年齢的なこともあるだろうが、確かに暑さが違う気がする。うちわとか水浴び、打ち水、冷やした飲料などといった程度の趣向は通用しない。ごまかしなど効かない、逃げ場のない暑さと言おうか。やはり温暖化の傾向にあるのか?


しかし、すべてを地球温暖化の自然現象で済ませることには抵抗がある。温暖化のきっかけは我々人間による不自然な環境変化だろう。生物の一種族である人間という生物は、度を越した介入をしている。にもかかわらず生物の一員として、循環や連鎖への貢献はほとんどしていない。そんな自然に対する越権行為の集積が招いている気がしてならないのだが。


などと思うのも、ほとほとこの暑さに参っているからなのだ。耐える自信がない。改めて人間世界全部で考えていく必要を感じるのだが・・・。

いのちのつながり よく分かる生物多様性

いのちのつながり よく分かる生物多様性

雑食動物のジレンマ 上──ある4つの食事の自然史

雑食動物のジレンマ 上──ある4つの食事の自然史

雑食動物のジレンマ 下──ある4つの食事の自然史

雑食動物のジレンマ 下──ある4つの食事の自然史

ほんとうの環境問題

ほんとうの環境問題

8月と青空

猛烈な暑さである。
8月は強烈な太陽の下、厳しい暑さの印象が強い。
8月に入ると6日を始めとして9日、15日と死者への慰霊が頻繁に画面に登場する。近年日航機墜落事故の12日もそれに加わった。日本の8月はお盆もあるし、死者の月だなぁと思う。


今年は1945の終戦から65年ということだが、毎年の傾向と少し違う感触がする。それに日韓併合100年ということもあったろう。悲惨悲惨、平和平和と叫ぶことが、戦争を回避し、平和になるわけではない。そう思ってきたが、今年は戦争の取り上げ方が多様になっていた気がする。たまたま見たものばかりだが、なかなかいい作品が目立った。


戦争体験者も高齢になり、語っておかなければという気持ちになってきたということを聞いた。生き残った意味を伝えることと感じている人もいた。戦地に行かない人々にとっても、生き方に大きく反映されていた。戦争時、普通の人々にどんな日常の変化が起こり、どんな暮らしをしていたのか。そして、終戦後はどんなことが起こっていたのか・・・


そのようなことが、私たち現代の「生」につながっていると想像が及び、戦争を体験していない若い世代にも、リアルな体験となるのではないだろうか。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

「空気」の研究 (山本七平ライブラリー)

「空気」の研究 (山本七平ライブラリー)

いのちの重さ―声なき民の昭和史

いのちの重さ―声なき民の昭和史

抗えないもの

月に一度続けているC講師と一緒に古典を読む会。貝原益軒の『養生訓』。
今は病の項。病いは生死にかかわる大事なことだけれど、施術とか薬にむやみに頼らず、日頃の生活スタイルが大事だと説いている。

今回は冒頭、医師で歌人上田三四二氏の歌を紹介された。

死はそこに抗ひがたく立つゆゑに
生きてゐる一日(ひとひ)一日はいづみ     上田三四二


人々は平等に死という「抗いがたい」ものに向けて生きている。確実に。従って、いまここに在ることのひとつひとつをかけがえのないものと大事に生きようということなのだろう。上田三四二は生死を見つめた医師歌人であるが、自身が大病を患ったことがさらに切実さを増したのではないか。


しかし凡人は忙しさに忙殺され、無為に過ごしたり、見失っていること多し。また一時の感情を引きずりそこに留まってしまうこともしばし。川の流れのように、生は留まることなく死へと進んでいるのだが。生・老・病・死 どれも抗えないものである。そのことにおいても留まることはない。


因みに検索していたら、歌集以外にも大病を経て出した短編集があるらしい。読んでみたい気が…


養生訓・和俗童子訓 (岩波文庫)

養生訓・和俗童子訓 (岩波文庫)

この世 この生―西行・良寛・明恵・道元 (新潮文庫)

この世 この生―西行・良寛・明恵・道元 (新潮文庫)

花衣 (講談社文芸文庫)

花衣 (講談社文芸文庫)

ダイナミックな渦

スゴク濃密な一日であった・・・
早朝からボディーワーク。ホリスティックな視点の帯津医師の健康観を聞いた。
「健康とは一言で言えば自由と美しさ」だと思うようになった。
つまり健康とは、身体面でいうなら「痛みからの解放」であり、 こころの面でいうなら「情念からの開放」。 生命(魂)のレベルでいうなら「執着からの開放」。なにものかから解き放たれた状況、つまり自由な状態。その振る舞いは美しいのだそうだ。へぇ、なるほどね。そのような切り口で言う健康観ってあまり聞かない。


夜は南直哉禅僧のお話。青森の恐山のお寺などで僧侶をしている。
彼のお話は講談調でおもしろいのだが、実は鋭いことを言っている。ご自身の切実が重なるので、言葉が重い。印象的なひとつ、恐山の意味と価値について。お寺があり湖があり、という環境と何百年も続いてきた「場」のことを言っていた。今や人気パワースポットになっているそうだが、パワースポットとはエネルギーが高いところではなく、実は負のエネルギーとか、パワーが低いところであると。

それゆえに、そこに行くと抱え込んでいる死や苦悩を放出できる(放出されていく)。場が受けとめてくれ、追い込まれ閉塞し井戸に落ち込んでしまったような人(魂)を救出してくれるのだと・・・。 この説は意外。考えるとそうなのかも・・・。


夜中に観たのはロフトでの映画評論家町山智浩氏のUSTライブ。彼が映画評論家と名乗っている、想いと危機感が伝わってきた。いま映画評論家と名乗らないライターは逃げがあり、一般の人のブログ、感想レベルに留まっている。そこから彼の生き方世界観が評論から伝わってきて、なかなか沁みるものだった。まず構造、基本を押さえた上で、その先の個々人の感受性があっていいが、ベースになっている表現しようとしている意味(集合知)は評論家が指し示す役目があると。仕事観のなかで出た言葉「でもやるんだよ」は結構納得。いまは自由とか個性をはき違えている感があると。


それやこれやが私の脳内でリンクし合い、渦巻いて、相当こころに響く。goodな一日ではあった。

老師と少年 (新潮文庫)

老師と少年 (新潮文庫)

なぜこんなに生きにくいのか

なぜこんなに生きにくいのか

アール・ブリュット・アート

unaスペースで時々行っているトーキングヘッズ。無名有名を問わずゲストを囲んでそれぞれがインタビュー&トークする会だ。今回は障害者施設で主にアートを中心にして活動しているK嬢。

彼女は広くアール・ブリュット活動もしている。これはフランス語で、ボーダレスアートとか、アウトサイダーアートと同じらしい。いまフランスの美術館で日本展が開催されていて、それにかかわっている。なぜここにたどり着いたのかなど、いろいろな質問がでておもしろかった。


そもそも障害やアートの線引きはどうなのだろう。どこからが障害者?どこからがアート作品?括る必要はあるの?そんなトークが展開。クリアな答えはないだろう。彼女は障害者のアートというより、まず作品としてどうなのかをみていると強調していた。かつて映画や映像で観たことがあり、自立支援として活動している人にもお会いしたことがある。日本は遅い歩みだったが、やっと社会に認知されてきたところなのかな。


確かに枠を超えて創造的、インパクトはすごくある。だが、彼らは名をあげようとして創作しているわけでも、評価されようとして作っているわけでもない。いま描きたいから、作りたいから作っている。その情動に動かされるものがある。K嬢も魅力溢れる人であった。

アウトサイダー・アート

アウトサイダー・アート

パッション・アンド・アクション―アール・ブリュット

パッション・アンド・アクション―アール・ブリュット

まひるのほし [DVD]

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一巡り

ボディワークのあと、デパートに寄ったら盆提灯がかざられていた。「ああそうか、関東ではお盆なのだ」と思い至る。そこからお中元に思いが至り、あわてて物色す。さらに家族の誕生日が迫っていることを思い出す。それも還暦祝いである。


昔なら赤い帽子に赤いちゃんちゃんこのいでたちで、おじいちゃんというイメージだったが、いまや普通に赤いものを身につけ、現役バリバリである。さて、なにを贈ろう…。赤いものを探し歩き、結局江戸切子の赤いグラスにした。酒好きだから。切子もいろいろと見て回ると微妙に違うのね。あまりそれらしくなく、シンプルでモダンなグラスが気に入り、奮発して送った。気に入ってくれるといいのだけれど・・・


ちょうど団塊世代の年回りで、あちこちで還暦と聞く。長年活動してきたミュージシャンなどが還暦のコンサートをやったりとか。フォークやロックという新しい音楽を当時は大人たちの顰蹙をかいながらも続けてきた。いまや社会に定着し、すでに若者文化ではない。しかし、彼らはまだまだ健在という感じがする。絵画、文学分野でも彼らは元気である。


一巡りして、新たにゼロ地点からのスタートをはじめたおじさんおばさんたち、その間に獲得したものを生かしてまたなにかをし始めるのだろうな。

還暦力 60歳でストレート140キロを投げる秘密

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還暦以後 (ちくま文庫)

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あれこれ観たくなった

昨日、劇作家つかこうへい氏の訃報。62歳。選挙の情報ばかりだったので、記事を目にし「えっ」とショックを受ける。癌という噂は知っていたが・・・
早すぎる。少し前には井上ひさし氏の訃報があり、高齢だとは言えこのときにも驚いた。こまつ座の舞台を観たばかりだったので。


演劇は好きだが、それほど熱心に観るほうではない。井上氏は複数回、本人にもある会でお会いしたことがある。つか氏はむか〜しに観ている。刺激とスピードのあるエネルギッシュな舞台だった。それからは本を読む程度だったが、ともに好感をもった人たちだった。残念である。


そして昨日はまたまた興味のある演劇人野田秀樹氏をTVで観た。ワークショップの模様も放映されていた。子どもが大のファンだが、私は舞台はまだ観れていない。彼のトークを聞きに行ったことはある。とても魅力的な話と魅力的な方だった。彼も病いを抱えているらしい。


このごろ周りに病いを抱えている人や、訃報に出会う(自身を含めて…)。まさに油がのった世代が多いのが気になる。まだまだ世を去るには、もったいない。うまく病いとつき合っていってほしい。

初級革命講座 飛龍伝 (角川文庫)

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娘に語る祖国 (光文社文庫)

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新装版 青葉繁れる (文春文庫)

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井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)

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ユリイカ2001年6月臨時増刊号 総特集=野田秀樹

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