クーツェと物理

もう一つ、突然に思い当たったことがあった。それはいしいしんじの『麦ふみクーツェ』麦ふみクーツェのことだった。長い物語である。奇妙な人物たちが奇怪な設定のなかで物語は進む。数学やら、音楽やら盲目の世界やらのことが出入りする。そしてそのなかで、クーツェの麦ふみの音、“とん たたん”“たたん とん”という音が、通奏低音のように聞こえているのだ。そしてその奇妙なバラバラなもの達が、徐々に集り、収束して、終演に向かう。読み終わったとき、まるでシンフォニーを聞き終わったような感動につつまれた。そうか、捉えどころのないストーリーに対し、あの“たんととん”はドローンの役割だったのだ。「この世のものはすべて打楽器になる」という台詞が意味をもって、再び浮上してきた。

シンフォニーと言えば、先の渋谷慶一郎氏のことで印象的だったことをもう一つ加えたい。講義が終わって、現代音楽をしている若者に繰り返していた言葉がある。「現代音楽をするにしても、オーケストラひとつくらい書けなきゃダメだ」と。先端や前衛は、基礎基本の上に初めて成るということ。