父親という存在
録画したままになっていた番組をようやく見ることができた。
藤原新也氏の「私が子どもだったころ」である。本人の語ることと、ドラマの再現で構成されている。
戦後の混乱期に幼年期を過ごした門司が舞台。お家は旅館を営んでいた。忙しい母親に代わり、とてもかわいがってくれた若い仲居さんの思い出。戦前には渡世人だったという父親の思い出。子役の少年がなんだか藤原氏の幼いころの面影を漂わせているように感じられる。
大事な来客のときには決まってお父さんが自ら作るだし巻き卵がとてもおいしかった。いつも端っこを分けてもらうのだが、ある日藤原少年は黙って自分で作ろうとする。卵の殻が山になっても、失敗ばかり。そこを父親に見つかるのだが、彼は「好きなだけ使ってやってみろ」と言われるのだ。当時卵は高価なものだった。
藤原少年は何度も何度も挑戦し、失敗作が山になってもひたすら続け、夜中になっていた。様子を見に来た父親は半ばあきれるように「たくさん使ったなぁ。やるのは一日一個でいい」とだけ言い、去る。少年は次から毎日毎日1回だけ挑戦を続ける。しばらくして父親に食べてもらうと「おいしくできているじゃないか」と及第点をもらう。
相当な修羅場をくぐってきたと思われる父上だが、普段口数は少ないが、優しかったようだ。ドラマ仕立てなので、役者さんの演じた父親像での印象だが、雰囲気のある「格好いい」人だと思った。寡黙だが、存在感と信頼感がある。息子に対する振る舞いにしびれた。こころ広く辛抱強い。寛容と信頼のまなざし。
それからも旅館業は破綻し、苦労されるようだが、壮絶な人生経験からにじみ出てきたような父上の愛情とやさしさというようなものは、現代にこそ求められている。かといって、あの時代のようになれば・・という問題ではないわけで、そこが悩ましいところである。とてもこころに沁みた。
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