細胞の精神性

今年は初っ端からボケてしまった。ボディーワークの日程を間違ってしまったのだ。思い込みで、違う講師の週に行き、始まるまで気づかなかったとは…(いつまでも来ない友人を心配さえしていたのだからあきれる)。


が、結果的にラッキーであった。
内容は重なるものが多かったし、運動量もほぼ同量で、U講師の誘導はイメージがしやすくはじめてなのにやりやすかった。講師が開始前に話された話題がとっても興味深く、聞き入ってしまった。それは正月に見たTVでの話。


昨年末に立花隆氏が最先端の癌研究の取材をする番組があり、それは私も見たのだが、それをより詳細に深めたものが放映されたらしい。その内容に講師はショックを受けたという。それはいままで言われてきた常識を覆すものだった。一つは「栄養血管を遮断すると癌は凶悪化する」、もう一つは「免疫細胞は時として癌を助ける」というもの。


私も「ええ!」と思った。断食療法や節食は有効ではないかと思っていたし、癌でもインフルエンザでも、自分のできる予防法は究極「免疫力を高める」しかないと思っていたからである。しかし、U講師はショックを受けながらも考え続けた。結果、ある解釈にたどりつき、逆に光を見出して、信念にいっそうの自信を得たそうである。


つまり、前回立花氏は結論としては癌細胞のことはほとんどわからない、そして、あなどれない能力があるということを言っていたが、その癌細胞の行動はすべては「生き残る」ためにものであるという認識から思考を進めた。やはりTVの粘菌についての番組で、粘菌のような単細胞の菌でも成長の方向は快・不快が決めているとしていたが、U講師も同様のことを言っていた。


細胞にとっての快不快の快とは、栄養源としての甘さ、不快は毒素としての苦さ。単細胞がどのように判断をしているのか、どのようなシステムが働いているのかは、わからない。ただそこに細胞の“精神性”とでも言うようなものが関与しているとしか言いようがないと・・・(私は単細胞、アメーバーの存続のための振る舞いを知り驚嘆することがあり、団まりなさんではないが「細胞の意思」という言葉が浮かんだ)。


と考えると、栄養源を絶つことは細胞の危機である、暴徒化しても不思議ではない。免疫細胞云々は、癌細胞が危機感を感じると、細胞を味方につけ、共通の敵として共闘するのだそうだ。前回の放送によると、癌細胞のすごい能力は環境に対応してどんな細胞も生み出せるということだった。たとえば癌細胞が大きくなり、内部にまで血管が回らず酸欠になると、酸素なしで生きる細胞ができているらしい。


そんなこんなで講師が結論したことは「癌細胞を切迫させない(追い詰めない)」ことだった。また自由度に保障があれば、安心が生まれ、悪さはしないだろうという見解である。なるほど。これでもかと癌を虐待しても根治しない例はたくさんあるし、がん治療で患者本体がやられてしまう気がする。私には説得力のある解釈だった。しかし、日頃の栄養過多も癌を招くような気がする・・・


がんと闘った科学者の記録

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粗食のすすめ (新潮文庫)

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細胞の意思 〈自発性の源〉を見つめる (NHKブックス)

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