落語版源氏

源氏物語』千年紀ということで多彩な催しがあちこちであるようだ。昨日は“落語版源氏物語”なるものに行ってきた。演者はごひいき立川談春さんである。演目は「柏木」。どんな風に演りこなすのか・・・楽しみにしていた。

本田久作さんによる本。この間お話を聞いたばかりの方で、会場にもいらした。彼の本は飛んでいた。なんたって舞台は江戸。はっつぁん、くまさんの世界である。光の君はなんと盲目の天才三味線師匠ときた。で、その弟子が柏木と夕霧なのである。で、元花魁が紫上で、高名な三味線師匠の忘れ形見が女三宮となる。そこでややこしい事が起きるってわけ。

談春師匠大熱演!相変わらずの長い頭にはいま起きている○○家の騒動を絡ませる。聞いていると今も、江戸も王朝期もかわんねぇなぁーって感じ。人間のやらかすことって、おんなじ。

そうやって面々とつないできたと思うと、情けないやら愛しいやら。。。(落語ってやつは聞き終わるとなんだかだめな人間が愛しくなるのよ)

「柏木」の話は死の手前までであったが、行く前に書棚のなかから源氏関係を探してみた。ずいぶん以前のことだからおさらいしておこうと思って。本自体は見当たらなかったが『源氏物語の世界』という色褪せた本が見つかった。なんと75年くらいに買い求めていて、線も引いてある。(すっかり忘れてるよw)


著者の中村真一郎氏は源氏における死の美学に触れていて、多様な死の場面のひとつとして、柏木の死に言及している。まずリルケの嘆きを紹介している。現代は服装や食事、また心の働かせ方までが既製品のようになていて、それを怪しまなくなっているが、人間の死においても同様に、自身の死ではなくなっていると。人間にとってもっとも重要なことであるにもかかわらず、お仕着せのような平均化されたものになっていると。。(現代ってあるが、少なくとも1968年以前のことを指す。変わんないね)

その点、源氏に登場する死はどれも実に印象的であり、その人物の死そのもの、その人らしい死になっていると言うのだ。確かに登場人物はよく死ぬ(江戸時代でも)。出産しては死に、はやり病で死に、悪霊にとりつかれて死んでいる。

現代ではそれがあまりなくなっているとは言え、必ず死には出会うもの。源氏物語の多様な死と哀しみの深さを経験することは現代において必要なことかもしれない。

源氏物語 巻一 (講談社文庫)

源氏物語 巻一 (講談社文庫)

源氏物語の世界 (新潮選書)

源氏物語の世界 (新潮選書)