8月の終わりに

8月はいろいろな意味で暑いと思う。その暑さが年々堪える。忘備録として
●『死刑』JCJ賞受賞
JCJ賞とはすぐれたジャーナリズム活動・作品に贈られる賞だそうだ。森達也氏の力作である。受賞時のスピーチにこんな言葉があった。
「 光市の裁判判決が出たとき、中国新聞の記者がくれたメールがある。『裁判所で取材をしていたが、死刑判決が出た時、その知らせをきいた裁判所の外にいた群衆が歓声をあげ、手を叩いて喜んでいた……。この雰囲気を作ったのは間違いなく私たちメディアです』

そんな内容に、“死刑”の賛否はともかく、僕はこの群衆の一人にはなりたくない」と。群衆とは「一人の人間の死が確定したことを喜んでいる」群衆である。私もずっと危惧している現象である。

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う

●戦争記事より
外語大大学院教授の酒井啓子氏が書いている。彼女は中東情勢、特にイラクに詳しい。
今夏久米島に行ったそうだ。1945年6月に米軍は久米島に上陸する。その前後、密告などにより、島民20人が日本兵により虐殺されている。ん是、日本軍が?と問うと、「米軍より先に島民にやられるのでは」と考えたと言う。守護隊は30人。島民が寝返ったらひとたまりもないと思ったそうだ。

「戦争の恐ろしさは、誰が正しい国民か、といった切捨て思想が当たり前になっていくこと」と酒井氏は言う。戦争の中で生き延びる道が希少になれば、それまで「国民」としていた人々の間に差別を設け、切り捨てようとする。非国民、民族、血筋、思想・・・などの差別。久米島での惨劇は、軍が島民を同じ日本人と考えていなかった証だという。それまで共存していた人たちの間に、誰が生き延びる権利を持つのかという競争を惹起するのが、戦争なのだと彼女は言う。

今の社会、経済産業の世界でも、同様の状況下にあり同様の判断をしているような気がしてきた。生き延びる道を狭くすれば、どの世界でも同様なことが起こる。

イラクは食べる―革命と日常の風景 (岩波新書)

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