個性的な普通

今年も灼熱の太陽が突き刺すような日差しの8月6日だった。毎年TVでみる広島の式典でのお年寄りの姿はつらい。
さて、今朝の空はというと、子どものころよく描いていた絵日記のなかの雲のよう。そして空の色は宮崎アニメのような青色。聞けば立秋だそうな・・・少しは涼しくなるだろうか。


先日20代のTくんと久しぶりに長話をした。彼の興味、行動歴、生活の姿勢がなんとも不思議で、源流を確かめたくてよく話をする。いまどきではあるのだが、いまどきでない。ナイーブな感性を持っていながら、十分にタフである。一人でも多人数でもOK。変わっているが、普通なのだ。

で彼と話していて、思ったことがある。個性的であることは、ことさら人と違うということを意識(主張)することではないということ。もともとの個体差は存在しているだけで、厳然とあるのだから・・。近頃個性個性と言われてきたことが、なにかをつらくさせているのではないかと思うようになっていたこともあるだろう。

そんなことから思考が次々とつながってちょいと暴走気味。
私たちはヒトという種であること、動物であるということ、生物であるということ。その同種性をもっと受け入れていいのではないか。そして群れて生きる社会的動物であるということ。群れることは種として平均値であるということでもある。突出しないことが、種をつないできたのではなかったかと・・・普通ということは強みなのではないかと。

個性について (1972年) (レグルス文庫)

個性について (1972年) (レグルス文庫)

日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない

日本人ほど個性と創造力の豊かな国民はいない