短歌のちから

七夕だったのだ。会議のあと夜空も見ずに帰宅してしまった。
昨日の休日、以前の家に用事があって行ったのだが、やっとのことで荷物を運び終え、部屋もきれいになった。

その運び出した荷物は、収まるところもなく、物置と化している部屋に積まれている。その中のひとつのダンボールをおそるおそる開いた。それは保存用雑誌で、何年も手をつけずにあるのものだが、箱も崩れているし、なんとしても荷物をスリム化しなければならないので、覚悟して開けることにした。

保存用の雑誌の類いは意外と少なく(それって、他のどこかにあるのだ?)、子どもたちの記録や少女時代の書き物などであった。びっくりしたのは学生のころのノートにはなんと存在に対する問いが書かれていたことである。社会への問いかけは思えているが、自身への問いや苦悩など、まったく記憶にないのだった。いっぱしに悩んでいたのだ。

その中に周りがやけてしまった冊子があった。「歌集」とある。著者名は祖母であった。彼女は短歌を読んでいたし、同人誌に投稿していたのは知っていたが、歌集のことは忘れていた。たしか、亡くなったとき(いや、その前か・・)にノートにまとめられていたものを冊子にしたのだと思う。

パラパラと繰りながら読んでみる。
歌は素直に日常のことを歌っていて、時系列に並べられている歌を読んでいると、家族の歴史が走馬灯のように浮かんでくるのであった。孫である私たちのことも何篇か読まれていた。たった一行の短歌ではあっても、そのときのことがありありと浮かんでくるのだ。私の知らない叔母の結婚前のことから、祖母自身のこと、祖父の死のこと、当時の我が家のこと・・・。これにはちょっと感激した。

祖母は祖父の引退後に移り住んだ家の隣人が、短歌を読む人であることを知る。そのときのことを歌にしている。その巡りあわせのうれしさ、幸せを無邪気に子どもたちに伝えたという歌。祖父の死にさいしての歌には、はじめて祖母の気持ちをみた思いだ。またむごい事件に対して心を痛めている歌が何篇もあった。祖母の気持ちを改めて思った。

俳句や詩は表現と解釈に距離が生まれそうだが、祖母の短歌は素直に情景が浮かんでくる。あらためて短歌の力に感動した次第である。

一人で始める短歌入門 (ちくま文庫)

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短歌をよむ (岩波新書)

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