親鸞に触れる

月一回の割合でやっている「古典を味わう」会。古典音痴の私には、触れるだけであれ、とっても楽しい時間。去年は道元の「道元禅師清規」だった。食に対する構えの源のようなもので、今日を振り返るのに役立った。ただし、漢文や仏教語で、表現は難解。今年は親鸞の言葉をまとめた『歎異抄』。一度は触れたいと思っていたもので、興味深い。初日、道案内役のCさんは良寛の歌からスタートした。

「わびぬれば 心は澄めり 草の庵(あん)
         一日一日(ひとひ)を送るばかりに」ー良寛

草の庵とはこころ安らげる庵。わびぬればの「わび」は日本古典の美意識であるあの「わび」からくる。それを知るためにも日本古典はあるのだとCさんは言われる。「わび」とはわかっていそうで、わかっていない。文字ではなかなか表せるものではない。なんとはなしに共有しているつもりになっている・・・というような感覚。

歎異抄』とは弟子の唯円が師の親鸞の言葉としてまとめられたもので、その親鸞という人物の紹介をまずしてもらう。
1173〜1262(平安末期から鎌倉)。長寿である。生涯寺を持たず、真の浄土宗を極めるべく、一生涯精進を重ねた。9歳から法然の弟子になるも29歳で比叡山から世俗に降りる。当時は革新的な妻帯もし、迫害を受け流刑も経験している。

年代を見ると、去年に読んだ道元とは同時代に生きたことになる。この時代には法然親鸞道元日蓮、一偏など、新しい宗教者がたくさん現れ、いまに至っているのは興味深いことだ。 偶然目にした藤本義一の『歎異抄に学ぶ』、なかなかよい。

歎異抄に学ぶ人生の知恵 (PHP文庫)

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