事実と記憶

unaスペースでの“語り合い”のなかで、印象に残ったことがある。主題からそれたわき道での議論だったのだが、妙に気になって・・。

ある人が「戦争を体験した親などの話を聞くと、終戦の日の印象を“青空だった”と言う人が多いけれど、その日の東京の空は雲っていたそうなんだよね」と言った。(実際はどうだったのか。確認してはいないのだが)

実際に体験していた人の記憶に事実とのズレが起きているということ、しかも、何人もが同じような記憶になっているということ、そこに興味があった。単純に、記憶とは主観が関与しているもんだと片付けてしまってもいいのだが、その記憶の仕方を探ってみることで、心情のいくらかを想像することができそうに思う。

空に曇があったにも関わらず、青空だったと記憶していること。そこには共通した心情があったのではないだろうか。つまり、青空に重ねた開放とか自由とか、希望とか、光りと言った感情の転写。事実かどうかは別にして、そういう記憶の仕方をしてしまった当時の人々の気持ちの少しは慮れる気がする。

私のイメージも「ギラギラとした真夏の太陽の下で聞かされた終戦の報告」という感じ。きっとそういう発言の類いやドラマなどから後付けで構築されたイメージなのだろう。そんなできごとから、人のエピソード記憶はあまりあてにならないと言えそうだ。実際体験した事柄でも、かならずそこに編集(主観)がおきているということなのだ。

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あの戦争は何だったのか: 大人のための歴史教科書 (新潮新書)

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