老いとは存在のゆらぎ
前回老いのことなどを書いたら内田樹氏が“存在のゆらぎ”が老人の特徴と、老いに関しての文章を書いていた。で、こんなことを言っている。
「生まれたときから現在の年齢までの『すべての年齢における自分』を全部抱え込んでいて、そのすべてにはっきりとした自己同一性を感じることができるというありようのことをおそらく『老い』と呼ぶのである」。
「あったりまえじゃん」てことなんだけれど、そんな定義の仕方をするのは、いかにも内田氏らしい。
そして幼年期から少年期壮年期の自分も、全員が生きて自分のなかに活発に息づき、そして、最も適切なタイミングでその中の誰かが人格交換して支配的人格となる。そのような人格の可動性の広さこそ「老いの手柄」だと言うのだ。
彼自身の体験として老いとは「精神は子どものまま身体だけが老人になる経験」のことだったと言っている。確かに、「外側は中年おじさんだけれど、彼等自身はいま“少年”なんだよな」と思わせる中年族によく出くわす。そういう彼等を私は嫌いじゃない。手柄かどうかはまだわからないが・・・
- 作者: 内田樹,平川克美
- 出版社/メーカー: 柏書房
- 発売日: 2004/09
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