違う位相で語りあう

長崎原爆忌。銃撃死した伊藤市長を引き継いだ田上長崎市長の平和宣言も広島市長同様、はっきりと姿勢を打ち出した。「誤った認識」と久間発言を批判し、非核三原則の法制化を求めた。法制化とは言葉(ニュアンス)だけではなく、システムができること。これも広島長崎における久間効果か?

さて、ちょうど新聞の憲法についてのコラムで、吉本隆明氏が意見を寄せている。当時れっきとした軍国少年だった吉本氏は占領軍に対して敵意をもっていた。「あんまり変なことしたらただじゃおかないぞ」という気持ち。しかし、GHQは新しい政策実施には新聞で声明をだし、国民に了解を求めていた。そのことに衝撃を受け、自身を反省し出した。

そして、いろいろ学び、左翼的志向になり、安保闘争に加担し、挫折。彼はその二度の体験を前科二犯だとする。そこで初めて憲法9条は保ったほうがいいという考えが出てくる。

憲法9条はどの資本主義国にも、どの社会主義国にもない、超先進的な世界認識だと理解するようになった。右とか左という論理では論じきれない。もっと次元の違う共同体と連携して非戦の考えを力にしたらいい。いまのような非戦条項を放り出したまま米国一辺倒というのが、一番だめ。

日本の近代化はほぼ終わっている。だからいま「日本は考えどころ」だという。ここでまた西欧ののまねしてはだめ。金もうけに頭がよく動くヤツが得するような、ばかな社会をつくるようなまねはよせ。

「自分たちの風土風俗に適合したやり方を考えていこうよ。そして9条に同意してくれる国と一緒にやろう。そして平和について世界を変えようじゃないか」というようなことができたらいい。考えどころというのは、そういうようなことを課題とべきということ。 

そういうことを考え合えたら、ほんとうにいい。上を見れば絶望的状況だが、下をみれば、光はさしている。小さなレベルで、そういうことを考えあう。それがきっと力になるのだと思う。

吉本隆明 自著を語る

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思想のアンソロジー

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