物理と哲学

いま大学では教養課程で必須だった哲学と物理の講座が激減しているということだ。どうも、大学の経営に関係しているらしい。つまり、大学の実績を示さなければならない業態になっている昨今、英語や経済に力を入れ、実績が見えないそれらの課程はだんだん先細りになっているというもの。

その事態に対して、哲学の石井名誉教授は「これは憲法問題である」と喝破したそうだ。つまり日本の憲法第23条「学問の自由を保障する」である。憲法に特別の条項を付けてまで保障しているのは日本の憲法だけであるそうな。なぜかというと、戦争の時代に、あれほど国家に道を誤らせてしまったのは、大学で学問の自由が失われてしまったことにある、という強い悔恨があったから。

学問の自由とは学ぶ、研究する自由のほかに、それを保障する制度的基盤、つまり大学の自治でもある。自治とは「教授人事、研究者人事の自主的決定権はもとより、大学の財政的基盤を国が保障し、その資金の使い道もまた自主的に決定できる権利」と名誉教授は言う。当然のようなのだが、改めてそんな発言を言われるところをみると、そうではない現実があるということなのだろう。そして、それが哲学講座、物理講座の縮小につながっている。

私事で言えば、若い頃まったく学ばなかった両科目であるが、年齢を重ねるごとに、気がつけば両者への興味が増している。物理、哲学の思考が、実生活(生きる)と密接につながっていると感じるからである。確かに物理、哲学は短期的実績にはなりにくいが、長いスパンでの実績を生む学門だと思う。