平均律以前

unaで、古楽器のレクチャーコンサート。古楽器は現在では使われていないものをさすらしい。15・6世紀の楽器を資料から復元し、音を起し、演奏をする。演者は立川叔男氏。当日買ったCDの解説を読むと、彼は13歳からギターを始め、スペイン留学もされたギタリスト。それが留学後、古楽器とそれらをとりまく音楽に興味ひかれ、第一人者D・ミンキン女史の指導などを受けその道に進むことに。

手稿譜を解読したり、ルネッサンスギターなど、形もおぼろであった楽器を製作者たちと再現し、それを演奏するまでを試みている。立川さんの言葉によると、例えばバッハの無伴奏チェロ組曲など、チェロは音量も豊かで変化に富み、音域も人声に近いので、耳にもやさしい。けれど、立川氏自身が演奏するとなると、違う思いがあった。ご自身としては「語りのバッハ」を創り出したかったそうだ。それが最も自分らしく、またリュートにもふさわしいと思えた。暖炉を囲んで聴くおじいさんの昔話のように・・・

お話で、チューニングとは単なる調律ではなく、本来「楽器の塩梅をする」ことだと言われる。音はもちろん、今日の楽器の様子を見る。演奏は楽器とのコミュニケーションと考えるならば、当然のこと。
またピッチは当時とは違っていて、現代では徐々に高くなっているそうだ。和音もちがっている。そのため、現代の西洋音楽教育を受けた人には、音が狂っていると感じてしまい、現代の音程に修正して弾いてしまう人が多いそうだ。和音も同様に聞きぐるしくなる。立川氏は、それは教えられた知識であって、実はよく聞いてみると、身体にやさしく響く美しいのだと言われる。

持参してくれたリュートは貴重な品だった。古い時代のもの。収集家から偶然手に入れたのだが、制作の年代はわからない。ただ中に「1927年修理」と記されているそうだ。少なくとも80年以上前ということになる。弦は従来の羊の腸では、湿気の多い日本で演奏すると切れてしまう。そこで、サンシンとか琴、琵琶に使われている、日本にある絹を使用した。

お話を聴いていると、現代社会ではあたり前になっていることのおかしさが重なって見えてくる。平均律グローバリズムと重なる。まさにルネッサンス音楽。もう一度本来を考えるきっかけにもいい。