日本が担える役割

国民投票法の成立。いよいよ憲法改正への道が整ったことになる。憲法は遠い存在で、直接生活には関係ないと思われているのか、あまり国民の方は熱心ではない。政府だけが、やみくもに急いている感があるのだが…。

しかし、憲法は国民から政府に差し出す規範、縛りである。本来ならは、国民側が自主的に研究し、思考し、草案を政府に提出すべきはずのもの。そんな思いがあり、一年半ほど前から勉強会というか、まず「知る」ことをはじめてみた。なるべく多面的に、多様な方向から考えている。

今回は軍隊・武装というテーマから、伊勢崎賢治武装解除』の本を紹介、読んでみることになっていた。すこし本筋から外れるかもしれないが、いままで武装ということなど、考えずにきたので、とても刺激的だった。彼は文民として、紛争地域の入り込み、武器を放棄し、民主的な選挙に持っていくことを使命としていた。東チモールやアフガン、シオラレオネなど、紛争が泥沼化し惨憺たる状況にある国で、長年活動をしてきた人である。

護憲派であれ、改憲派であれ、私にはどうもピンとこない。彼らのどちらもが、言葉にリアリティがないのだ。その点、彼には実践からの言葉がある。その言葉は空論ではない。しかし、決して理想的ではない。高度な政治判断を必要とし、一歩でも歩み寄るためにつらい決断を迫られる。苦い経験もある。

しかし、その言葉には、リアリティがある。そして、行動を通して、きれい事では進まない日々の活動だが、それを越えたところで、大いなる理想と希望を感じさせるのだ。その彼が最近声を大にして言う言葉がある。「日本の憲法九条はりっぱな抑止力になる。そのためにも、前文と九条は変えてはならない」。戦争放棄の国民として信頼され、文民として丸腰で、紛争地域に乗り込めたのも、そのおかげであると。そしてさらに言う。「世界の紛争解決こそ、日本が担える役割であると。

武装解除  -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

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