議論のレベルアップを

都知事選の日。unaでささやかに開いている憲法を考える会。自由にいろいろなことを考えてみようという試みである。着地点はない。今、あまり考えてこなかった(知りたくなかった)軍のことがテーマになっている。関連の数字を挙げたのだが、予算などはどうも桁数が多くて想像しにくい。それでも自衛隊員が23万人というのは具体的。それが多いのか少ないのか・・・それを判断するには、その前に、はっきりさせなければいけない見解がいくつかあるだろう。まだ保留。

しかし、予算が膨大な数字というだけはわかった。数字の把握に手間がかかり、伊勢粼賢治『武装解除

武装解除  -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

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からの意見交換が中途になってしまった。次回ということに。


なかなか脳内に格納できないこの頃、切抜きをしているのだが、未整理が増えている。そのなかに「機動戦士ガンダム」の作者安彦良和氏の記事がある。ガンダムは詳しくないのだが、そこで否定的に描いたジーク・ジオンが人気であるという。「ジオン公国」あれはナチスのメタファなのだそうだ。

しかし、それをカッコイイと思ってしまうのは、人間の性でもあるのだと言っている。そして彼はアニメを辞め、マンガを描くことになった。戦前からの満州国を描いた「虹色のトロッキー」である。

虹色のトロツキー (1) (中公文庫―コミック版)

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これは私も所持していて、開戦前夜の歴史としてずいぶん勉強になった(学校ではほとんど学んだ記憶はない)。

彼らは満州国という「王道楽土」を真剣に描いてはいたのだが、現地では日本人を特別とした。「本気だったけど、間違っていた」と彼は言う。その言葉の意味するものは重い。

彼は平板な善玉悪玉論ではなく、そこから抜け落ちる人の生きざまや微妙なものを描きたかった。しかし、最近は嫌中嫌韓サブカル的な政治ブームの空気とセットでの、単純な改憲論になっていると危惧する。過激でインパクトがあるものが支持される。それは前述した、人間の性のなせるものなのだろうか・・・。そうならばあまりにも情けない性である。

安彦氏は米軍の傘の下ぬくぬく人類最高の目標「平和憲法」の看板を掲げ、陰で「解釈改憲」という態度をしてきた過去は、確かに恥ずべきもので、看板をはずそうという気持ちはわかる。わかるが、今のこのような政治気分での単純な改憲論では非常にレベルの低いものになる。それならば、分別がつくまで、この看板は下げなくてもいいのではないかという意見。

果たしていつになったら分別がつくのだろう?という問題もあるが、この調子だと単細胞的低レベルの憲法改正になるだろうことは想像に難くない。もともと国民から国に差し出す縛りであるはずの憲法。それを政治的立場でしか動けない彼ら主導の改憲草案。それこそ恥かしい看板だけは掲げたくない。