夜明けのDJ

昨日帰宅したら電池が切れたようになってしまって、そのまま横になってしまった。
で、翌朝というか夜明け前に目がさめた。ラジオからはDJ氏の声が聞こえてきた。名前も知らないが、聞き耳を立てる。


彼はアメリカで、あるタクシードライバーに出会う。後日ドライバー氏の話を聞くために、改めて訪問し、彼との親交を深めていった。


ドライバー氏は朝鮮戦争に志願兵として参加していた。合い間に休暇を取るため、日本に来たという。まだ戦後の混乱の残る1950年頃だろうか…。上野あたりである僧に英国の田舎なまりで声をかけられたそうだ。タバコを分けてくれと。そして僧は戦前に英国の神学校に留学していたことを聞く。そのままドライバー氏は彼の主宰する座禅に参加をする。日程を終え「こんなものかなぁ・・」と思いながら門を出ようとしたとき、僧が「もう戻ってくるな」と尻を蹴ったそうである。彼は泥にまみれながら、その時、何か悟ったような気がしたそうである。

それは「悪である共産主義から国を救う」という大義名分に賛同し、志願をしたのだが、この戦争はどこか間違っているのではないか…と思ったのだそうだ。(このあたりの飛躍が解せなかったが、ともかく彼はそこに至る)
そのような体験を経て、東洋の深い思想を知ったのだと語ったそうである。


そこから米国音楽の話につながっていくのであった。(音楽に詳しい人には自明のことばかりだろうが…)
DJ氏が出会ったタクシードライバーのように、米国でも東洋思想を高く評価し、無排除とか非暴力・悲戦を思う人々がいた。それがビート族とかビートニクと呼ばれるものに反映していく。(ああ、YMO幸宏氏のビートニクスってそれかぁ、といまさらにつながるおバカなのであった)

黒人の差別は激しいものだったわけだが、黒・ブラックという言葉は、腹黒いなどと言われるように、言葉自体がすでにいいイメージではない。白人、ホワイトは善とか優のイメージなのだろう。

そこでブルースの青という色に意味が出てくる。もちろん憂鬱とか、理不尽な暴力を受けた青アザのメタファーなどいろいろあるようだが…。その代表的人物としてJ・ブラウンをDJ氏は挙げた。彼らは画期的な「ブラック・イズ・ビューティフル」という言葉を掲げ、黒人たちの自信回復と公民権獲得に大きな力となった。
(そうか、辻信一氏が最初に書いた本は彼の原点『ブラックミュー人さえあれば』。それが『スロー・イズ・ビューティフル』につながるのか・・とまたまたいまさらな、おバカなのであった)

ブラック・ミュージックさえあれば

ブラック・ミュージックさえあれば

スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化

スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化

そして、ガンジー思想に影響を受けたと思われる非戦・非暴力のキング牧師、マルコムX、などなどが登場してくる。

ところが、再びベトナムでも反共=愛国の大義名文から同じことがおきる。ベトナム戦争である。そして同様にビート族としてのロックンロールが生れる。この時期の代表格がジミヘン。(性懲りもなく9・11でもこの構図ではなかったかと・・・)

しかし、と次第にDJ氏の語りは熱くなり。
本来ロックンロール、パンクなどはTVでは、はしたなくてとてもオンエアできないものなのである。しかし、彼らの音楽が白人マーケットに乗り、ビジネス(資本)として定着してくると、周りは保守体制になっていく。日本でも長髪やGパンは、当初は抵抗のメッセージだった。が、資本は彼らに安全パイを要求するようになり、本来のビート精神はどこへやら、いまやロックセレブなどが出現するまでに至ってしまった。

パンクロックなども低予算の労働者が生みだした音楽なのであると、一番好きなのはパンクというDJ氏はKRSワンの『スニーク・アタック』を推す。そして、それらがニセの見せかけの癒しになり下がっている現在を指摘する。

そんなこんなで、音楽の社会的背景を知ることは必要なのではないかとDJ氏が熱く語った、夜明け前ではあった。