歳暮の句を読んだ

月一での古典散策『芭蕉七部集』を読む会も最後になった。来年からは道元である。C講師は阿羅野、続猿蓑、炭俵から「歳暮」の句を選び、それを読む。

まず頭は古今集からの短歌を二編紹介される。

あらたまの 年のをはりに なるごとに
         雪も我が身も ふりまさりつつ  在原元方

年も終りになり、雪も降り積もるが、我が身も古く(降りとかけている)なっていくなぁという感慨。

雪降りて 年の暮れぬるときにこそ
          ついにもみじぬ 松も見えけれ 

雪が降る年の暮れになると、紅葉せず常に緑を保っている松が目立ってくるなぁ。その和歌から「変わらぬ緑」をつなげ、変わらずに繰り返されることを読んだ句を炭俵に拾う。

このくれも 又くり返し 同じ事  杉風

同じことのくり返しだが、毎年同じ暮を迎えられる、その何事もなさに感謝の気持ちがわいてくる。仏哲学者ドゥルーズの「差異と反復」があるように反復は重要なキーワードであると、哲学に明るいC講師は述べた。

それから阿羅野、続猿蓑と暮の句を読んだ。ほかに芭蕉の年の暮の句からいくつか。

古里や 臍の緒に泣く 年の暮  芭蕉

芭蕉が故郷に帰り年を越したときに、まだ自分のへその緒が残されていた。それを見て湧き上がる思い。

古法現 でどころあはれ 年の暮 芭蕉

古法現(こほうげん)とは有名な狩野派画家の絵。そんな高価な絵が年の市で売られている。どんな事情で出されたのだろう・・とでどころを思うとあはれである。

分別の 底たたきけり 年の昏 芭蕉

年の瀬でお金の工面で窮し、分別も底をついてしまった。

庶民は借金を重ね、それを年内に清算すべく奔走していたらしい。そういう句が多いのに驚く。どうも江戸の時代にも庶民は金に余裕はなかったようである。