俳句でエール

茂木健一郎×黛まどか対談。知っておきたい「この一句」 (PHPエル新書 (088))
まったく予備知識なしに行ったのだった。まず俳人まどか嬢の若さと美しさに「あらら」となる。てっきり歌人かと思ったが、俳句を作られている方だった(恥)。そして旅をしたり、芭蕉を手本にしていると聞き、俄然興味ひかれる。ちょうど今年はunaスペースで芭蕉を読んでいるのだ。


まず、芭蕉の句からのエピソードから言うと、
黛さんがスペインのサンチャゴで、つらいつらい旅を続けていた時に見たすみれ。突然脳裏にこの句が浮かんできたという。

 山路きて なにやら ゆかし すみれ草  芭蕉

外国の地で見たすみれにもかかわらず、「ああ、これが芭蕉のすみれだ」と実感したのだそうだ。これまでに何度も読んだり、解釈をし、思いに添っていた句のはずだったが、初めて感じるリアルなすみれなのであった。ご自身でも意外だったと。


芭蕉を読む会でも「言葉のちから」を語ることがよくあるが、黛さんも何度も句から力をもらい、助けてもらった体験があるそうだ。座右の句になっている句は師匠吉田鴻司のもの。

 白鳥の胸を濡らさず争へり 鴻司

たとえ争うことがあっても、白鳥は証しである純白の胸は濡らさない。黛さんはそこに誇り高く毅然と生きる姿勢を重ね合わせた。


そして、彼女の句もいくつか披露された。 

それからは とめどもなしに 女郎花  まどか

おみなえしの花は散りはじめるととめどなく散りゆくという情景。「とめどもなし」という言葉は今には新鮮。

さうしなければ 凍蝶に なりさうで  まどか

とても好きな句だ。いてちょうとは、動かなくなった冬の蝶。なにか、いてもたってもいられない情動のようなものを感じさせる。そういう気持ちってある、ある。色っぽい句にも取れるが、これは彼女が病いに倒れ、活動をやむなく休止せねばならず、焦燥感に襲われていたときにできた句であるそうな。


黛さんはそのような体験からも、昨今の悲惨な事件にこころ傷め、何かできないかと模索していた。そこで俳句でエールを送ることを思いついた。平日の毎朝8時ころに、携帯かPCメールにて、その日の一句が送られてくる。句と読みと紹介文が添えられている。学校に行きたくないとか、会社に行くのがつらいと思う朝、すこしでも悩める人たちの背中を押すことができたら…という思い。すべてボランティアで運営される。
携帯からは
http://madoka575.co.jp/mm/
少しでも多くの人に読んでほしいとのこと。


因みにこの日茂木さんはこれからの目標を聞かれ、こう答えられた。

 あひみての のちのこころに くらぶれば
          昔はものを 思はざりけり

日々前進 日々精進ということであろうか。