りんの音に耳を澄ます
朗読ゲームの会で読んだ『石垣りん詩集』
時々手にとって読んでみたくなる詩人である。
読んでもらったのが朗読の上手な詩人君だったので、一言一言こころに入ってくる。どんな声で、どんなトーンで読まれるかで、まったく印象が違ってくるね。
読まれたのは「挨拶」とその詩に関する自身の言葉。「原爆の写真によせて」という注がある。これは1952年8月、職場で書いたという詩である。アメリカ側から原爆被害の写真を発表してもよろしいと許可がおりた年。朝、出勤名簿にハンを押す台の前に写真と一緒に貼るからと言われて、一時間で書いたそうだ。初めて見せられた原爆の写真を手に、非常な衝撃を受け、叩かれネをあげるような思いで、求めに応じたと、書かれている。
そうしてあげたネ、ドラムだか木琴だかがぶつかりあって発生した言葉。翌朝出勤してみると、幅1メートル、壁いっぱいに毛筆で書かれた自作の詩が、高いところから挨拶していたと仰天した様を書いている。一時間で書いたとは思えない(時間じゃないのね)、とてもいい。全文の引用はままならないので、邪道だが一部を。
ー略ー
しずかに耳をすませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時十五分は
毎朝やってくる一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二十五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く 私の如く
やすらかに 美しく 油断していた (1952.8)
45年から52年の7年もの間、日本国民は原爆被害の写真を見てはいなかったのか・・とその事実に驚いたのだが、52年に石垣さんが詠んだ詩が、2006年の現社会への警鐘に聞こえることに、恐ろしい驚きを感じる。いまもドラムだか木琴だかがぶつかってネをあげている。