うちに仏を彫る
<秋雨に 焚くやほとけの けずりくず 蘭更>
unaで月一で開いている古典の会。枕に紹介された句である。
参加者に、お連れ合いを亡くされたばかりの方がいらしたので、講師は哀悼の意味を込め、『芭蕉七部集』「釈教の部」を選んでくれた。
仏像を彫っていて出た木屑を焚き、秋雨で冷え冷えしたからだに暖をとっている、といった風情だろうか。 人生を「仏を彫る」に例えているという解釈。仏を彫り続け、やがて自身が仏になる。外に彫る仏と、自身のうちに彫る仏。
削りくずは過去という出来事。臨済のいう「無位真人」のように、位や肩書きといった過去のもろもろの執着を焚いて、ひたすら仏を彫る。
捨てずにそのままにしておくと削りくずが邪魔して、仏は浮き上がってこない。焚く行為と彫る行為のバランス。
仏を彫る行為、それに人生はある。
次は良寛さんの歌を紹介。
彼れ是れと なにあげつらん 世の中は
一つの 玉の影と知らずて 良寛
玉とは魂。なんだかだとなにを言っているのだ、世界なんて露の玉に映る影のようなものではないか。目に映る像は影。実体は玉にあるのだよと言っているだろうか…。
折りしも外は秋雨…。しみじみと味わい深い。
さて、本編からは
<寝道具の かたかたやうき 魂祭 去来>
妻を亡くし、一人寝をしている。いままで使われていた寝具が一つういているのだなぁという句。寝道具は嫁入り道具で、妻が持ってきたもの、その妻はいなくなった。そういった情景が想像されて、さみしさがひとしお。
<家はみな 杖にしら髪の 墓参 芭蕉>
この句は芭蕉が大津に滞在していたときに、兄からの声かけで、旧里でお盆を迎え、芭蕉が一家で墓参をした時の歌だという。そして、奇しくもその秋に、芭蕉は亡くなっているのだ。なにかの計らいだったか。