同属と他属

茂木脳講座の科学文献。前回は是枝対談だったが、その前は動物の社会的知性(Social Intelligence)について。例えば、チンパンジーは学習能力はあるが、人に対してのソーシャルスキルは犬の方があるという論文。「主人の目の動きで気持ちがわかる」といったことは、やはり犬の方が優れていることは想像がつく。


ソーシャルスキルとは、異なる存在をどの程度許容できるか。犬はずっと人間と一緒にいて、スキルがアップしていったのだろう。科学というものは、「そういうものでしょう」といった感覚的合意を、一つひとつデーターの裏づけで埋めていく作業なのだ。そんな膨大な論文のなかから、キラリ輝く光りが見えてくる。気の長いと言うか気の遠くなる作業。

そのことを人間間として考えてみると、異なる存在に触れるほど、ソーシャルスキルが身につくということが言える。「違い」に向かいことは大事なこと。


さて、今回は人間間にみる社会規範とParochial(党派的、仲間、同属、部分社会とか)内利他主義というようなことだった。実験対象は実害のない(?)パプアニューギニアの人たち。違反者と加罰者と判定者の関係。わかりやすく、実験は金銭の授受。乱暴に結論してしまうと、加害側であっても同じ部族の人には寛容になり、被害者が同じ場合には擁護し、加害者に厳しい加罰をする。おもしろかったのは、不当行為をしている側が、同じ部族の判定者に対して、判定が甘いことを期待するというものだった。


こういうことが科学データーとして発表されると、心情としてわかるだけに、人間の心理なのかとがっかり。例えばボクシングの判定。例えば公務員の飲酒運転の取り締まり。ひいきとか、お目こぼしといった社会的振るまいも、人間の性ということなのか・・・こころに当たること多し。

ちょうどその前に、茂木氏は編集の参考作品としてドキュメンタリー「A」を観せてくれた。「A」 マスコミが報道しなかったオウムの素顔 (角川文庫)その映像には、オウムという反社会的集団に対する一般市民の排他的行動、思考停止的な異物排除の姿が浮び上がっている。引用理由は編集に関してだったが、茂木氏の編集的意図を感じた次第。同属間では利他的な振る舞いができても、それが他属に関して排他的になる・・・。
嗚呼、人間 なんて ララーラララ。