医師の当事者研究

unaスペースで、べてる*1のビデオを見ての感想に「調子が悪い時の様子が、いつもビデオに映し出されている本人とはまったく別人だったので、驚いた。お金のあるなし、仕事の多忙により、そのプレッシャーから症状が悪くなるなんて、なんて繊細なのだろう」とあった。


9日の講演会に行くと、前日のビデオで観た、その当人が体調を崩し不参加だった。シンクロしている、というのか驚きだった。彼は相談やまとめ役、また場を盛上げるのが上手で、Mrべてると言われている人である。近々全精連の大会が浦河で行なわれると聞く。きっとそのプレッシャーもあるのではないかなー。


さて、最初は川村医師の講演。自分自身のこれまでを話された。彼は最初はまったく違う分野の大学に入り、途中で医大に入り直している。学生時代に実習で各科を周った。どの科も大体やっていることはわかった。しかし、精神科は何をやっているのか、わからなかった。なにやら患者さんと話をして「はい、では二週間後に・・」などと言っている。それを聞いて「いける!」と思ったと会場を沸かせる。


患者さんとの間になにがあるのか…、なにが行なわれているのか…、見えないからこそ、興味を持ったのだと思う。また患者さんという人間と向き合わざるを得ないことにも惹かれたのではないだろうか。


そしてめでたく精神科医に。今は非援助という援助、治さない治せない医者、などと自らを表現しているが、当初は優秀で感謝される医者であり、治そうと一生懸命努力していた治すことに熱心な医者であったという。


しかし、次第に治っていかない患者さんの厳しい現実を見ることになる。彼はそんななかで「良くなるとはどういうことなのか?」を問い続けることになる。また「偏見差別がある」という医者側の差別にも気づくことになる。どういうことかと言うと「患者さんが治らないのは、世間や家族の偏見があるからだ」と責任を他に転嫁していたことである。


精神病の患者さんが、言葉を持ち、自分自身と病いを研究「当事者研究」というスタイルを進めていくことは、医師自身も自分を見つめ、批評する視点を持たざるを得なくなるということでもあった。医師自身の苦労のプロセスを聞いたことはあまりないかもしれない。(づづくべてるの家の「当事者研究」 (シリーズ ケアをひらく)

*1:北海道浦河にある。精神障害者当事者研究という視点で、真の自立を考え、目指すコミュニティ。事業としても多くの利益をあげている