この偶然に意味はあるか

昼過ぎに内田樹氏の対談を聞きに行った。対談相手は釈さんというお坊さん。はじめたばかりの浄土真宗 (インターネット持仏堂 2)一応「現代霊性論」というお題だったのだが、気心が知れいている二人だったので、範囲の広い話になる。

まず枕はネーミングの話。霊性を「現代」としたところがミソ。さらに「論」としたことも当を得ていると、1分もかからなかったネーミングについての薀蓄。「学」となると知、学門として理論の構築をきちんとしなければならないが、論というのは、学に向って生成していく過程のもの、なのだそうだ。だいたい霊性、といったものは、「学」には馴染まないと・・。そのとおりである。

あれこれと興味深い話が断片的に連なり、頭脳に収納するには、すこし整理が必要。というわけで、夕方からの科学者対談もあったのだが、パスして帰ることにした。

いつもよりずいぶん早い時間。まだ何も食べてないことに気づき、デパートのカフェに寄る。が、お目当てのカフェは夏休みのせいか休日のせいか、長蛇の列。仕方なく階を上がって、本屋の隣のカフェ。やはり満席だったが二人目だったので並んだ。

イスに座りボーッとしていた。
と、とことこ近寄ってくる人あり。「何でここにいるんだぁ?」。顔をあげるとなんと田舎に住む弟が立っているではないか!「あなたこそ、何でいるのよ!この東京に!」後から義妹が「やっぱりそうだったでしょ」。やっと休みをとり、二人で遊びに来たらしい。で、たまたまこのデパートに寄り、たまたま本屋に立ち寄っていたというわけ。

こんな偶然ってあるんだ。宝くじに当たる確率より低いんじゃないだろうか? この広い東京、お互いがほんの少しタイミングがズレていれば会えなかったはず。霊性の話の後である、つい意味を考えてしまった。