用の美と場所

友人Nさんと駒場で待ち合わせ。「日本民藝館に行こう」と誘われた。前回はあいにく閉館だったのでリベンジ。
ちょうど初代館長の柳宗悦蒐集展をやっていた柳宗悦の世界 (別冊太陽)。時代は李朝のものから、品は陶器や織物、掛け軸など、蒐集範囲の広さに驚く。圧倒される壷や皿の大きさ。どれもいいもので、堪能した。

柳氏はパンフレットに民藝館と民族館の違いを書いている。実用品の展示ではなく、そこから標準の美を提示したい気持ちがあった。そして展示の仕方にもこころ配っていた。陳列それ自身がひとつの技芸であり、創作であり、民藝館全体がひとつの作物となるようにと願った。冷たいという美術館のイメージではなく、もっと親しく、暖かい場所にしたいと思っていた。

私はこの場所が好きである。
砂利を踏んで、土間の入り口を上がると大谷石の床。太い手すりの年月を感じさせる階段を上がる。そんなアプローチの空間がすでに心地いい。時を経て、たくさんの人の手に触れた手すりはしっとりと滑らかで、光沢があり、こころを落ち着かせてくれる。

柳氏が願っていたように、建物全体が、作品であり、親しく温かみのある場所になっている。帰りに売店で、とても気に入ったコーヒーカップを見つけ買う。先日砥部焼のコーヒーカップを買ったばかりなので、ひとつにとどめる。

ウキウキしてお茶をする。友人からの情報で、デンマークのグルントヴィの教育を知る。興味深い。