継続「読めない歴史」

宮沢章夫という人を朗読ゲームで知った。なんともおかしなことを考える人である。今回読まれたひとつに「サンキュー」という短文があった。

いまは閉店してしまったハンバーガーショップ
その店では何かというと「サンキュー」で返答されたのだそうだ。宮沢氏は閉店にほっとする。だいたいが若い女性の応対であるはずだが、その店はなぜかパートらしきおばさんだったそうで、どうやっても似つかわしくない。

そこで宮沢氏お得意の想像(妄想)をめぐらす。店長から説明を受けたパートさんは「はい?サンキューって…」と目がテンにになったことだろう。しかし、店長も視線をはずしながら、マニュアルにそうあるから仕方がない。と口ごもりながら、「サンキューでいってください」「サンキューでお願いします」と。お互いわけのわからない空間を彷徨う…なんという悲劇
・・・といったふうな展開である。

参加している連中も笑いながら聴いていた。終わっての感想で団塊世代M氏が「すごーくその感じわかる。僕もそれがダメでハンバーガー屋のバイト一日で辞めたもん」と言った。M氏がバイトをした当時はハンバーガーショップが上陸したばかりで、アメリカ的なおしゃれな感覚だったはずである。一号店は銀座のど真ん中。職場のマニュアル化というものも、そのあたりから浸透していった。確か宮沢氏も50代。きっと同じような空気を感じていたのであろう。

ここでグッと話題は変わるのだが。その本の最後に「読めない歴史」という文章がある。高校生の時にクラスでマルクスの『資本論』を読むというブームがあったそうだ。クラスでは「読んだ?」「ああ、少しな」というような会話がなされた。彼はそんななか、開いては少し読み、閉じて考えてしまい、いっこうに進まないまま挫折。「読めない歴史」がずっと続いていると書いている。

ところが、ついに最近読破したらしい。宮沢章夫著『資本論も読む』『資本論』も読むである。出版されたときに、「なんで宮沢章夫が?なんで資本論なの?」と訝ったが、この文章を読んで、やっと解せた。そういう長い経緯があったのか。しかし、16・7歳から50歳ですよ、なんと長い間継続した想いであろうか。コピーには「読んでから死にたい!」とある。

私にはそういう本が何冊とある。だが、読んでから死にたいと思うほどの執念はないかな? 積読生活はなお続きそうである。