最初の一歩

スケジュールが立て込み、肝心なときに風邪をひいてしまった。幸い起きられないほどの体調は一日限り。やはり私的にはオーバーワークだったのだ。反省。

さて、unaで始めた「古典を読む」会、今年は『芭蕉七部集』。連歌の世界だが、今回読んだ荒野集は花の発句をまとめたもので、馴染みやすかった。

中ほどに 【兄弟の いろはあげゝり 花のとき ー鼠弾】という句がある。

「兄弟が花の時に、いろは…を習い終えた」という歌だ。C講師は「いろはうた」について話された。だいたい知っていたつもりだが、味わったことはなかった。古来から手習いの手本として「いろはにほへと・・・」と順に習っていったわけだが、意味のない五十音に比べ、「いろは」は歌として完成されていた。重複することなく、すべての文字が登場し、意味をなしている。しかも、深くて、感心する。

【色は匂(にほ)へど散りぬるを、わがよ誰そ常ならむ、有為(うゐ)の奥山今日(けふ)越えて、浅き夢見じ(し)、酔(ゑ)ひもせず(す)】

「匂い立つ美しい花も、やがては散る。そのように、世は移りかわり、誰も不変ではいられない。有為の奥山を越えたいと願っても、浅はかにも有為の世界に引きづられて、無為、空の世界に酔うこともできない」というふうだろうか。無為に対する有為なのである。諸行無常、みごとに無常観をうたっているではないか。

「いろは」は現代でも基礎基本を意味するほど、まさに最初の一歩。古人(平安時代以降と推測されている)は幼少期から、こんなうたを手習いとしてきたわけである。なるほど、無常観が骨まで沁み込むわけだ。最初は意味もわからず書き写すばかりだろうが、その思想や感性はいつのまにかDNAレベルまで届くだろう。