ハルキ国際シンポ(1)

先月25日のことになるが、なかなかおもしろかったので、忘備録としてまとめてみようと思う。
微妙な問題となっている村上春樹氏の作品の翻訳者による国際シンポジウム。海辺のカフカ (上) (新潮文庫)世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド
檀上には韓国・台湾・ロシア・フランス・米国の各氏が並ぶ。司会役は藤井省三氏。助かったのは、みなさん日本語で話されたこと(当然といえば当然ではあるが)。

最初は韓国のkimさん。
韓国のハルキ人気はすごいらしい。熱烈なファンサイトがあり、作品にちなんだカフェやメニューなどがあるそうだ。韓国ではまだほかの日本人の作品は外国文学として遠い存在だが、ハルキはサリンジャー、またはビートルズのように、国籍は消えて受け入れられている。ハルキの作品は自分たちのことを描いているようで、こころが癒されると若者は感じている。資本主義のなかにある若者の模索というようなテーマを感じるようだ。彼女自身も癒されたと言う。翻訳に関しては、一端韓国語にしたものを録音して、彼の持つリズム感を崩さないように気をつけているそうだ。

台湾のLaiさん。
1983年に『ーーピンボール』を。これはおそらく世界で初めての翻訳者ではないかと言う。以来30冊の翻訳があるそうだ。彼の文体・ユーモア・奇想天外さが受け入れられ、都会の孤独感などに感覚的な共鳴をするのではないか。彼の作品に出会い、日本語を習ったり、自らも書き手になった若者もいるそうだ。彼女は彼の作品には余白があり、境界を破る試みがある。現実と非現実。純文学と大衆文学、意識と無意識、言語と非言語、人間と動物・・・。
翻訳者としては、平易な言葉で書かれているので、文章上手に感じさせない伝え方を意識している。カタカナ語のニュアンスを崩さずにするのがむずかしい。きつつきは漢字ではなくkitutukiと表示など苦悩するところ。

ロシアのDmitryさん。ロシアでもファンは多いようだ。彼は村上氏とコンタクトがあるようで、翻訳に際して「温かみを出して」というコメントをもらったらしい。翻訳について、「簡単さ」を守るようにした。また、こころはmindでも、heartでもピンとこない気がして、結局その言語を使わない表現をしたというエピソード。なんと、ドストエフスキーと近いところがあると評している。(つづく)