踏ん張ってほしい人

辺見庸氏が脳出血で倒れ、気にかかっていたが、昨年半身不随の身でありながら、悪戦苦闘のなか書かれたという原稿を読み、安堵したものだ。が、まもなく、それに加え更なる病いに見舞われているという記事を目にする。病魔は癌であった。「いまや書くことの能力しか残されていない身」としながら、再び書くことへ向かうという意志。こちらの心が痛くなるような彼のコメントだったが、まだまだ踏ん張ってほしいと願った。

彼の文章にはズシリとした重さがあり、こころのなかに確かな足跡を残していく。先日『自分自身への審問』(毎日新聞社自分自身への審問が出版された。前半は既に読んでいた文章だったが、彼独特の言葉の扱い方に、安心し、懐かしさすら感じた。彼の携える語彙が好きなのである。

前後して友人に新聞記事を送ってもらった。そこには横顔の写真が載っていた。とてもすっきりしていることに驚いた。確固とした存在感ゆえの、ある種の頑なさのようなものが、消えている感じがした。それでも絶望のどん底のような境遇においても、自分を見つめなおそうとする辺見氏の精神の強さは、どれほどのものか・・・。
今後はどうか、病魔と上手く折り合いをつけ、また再び彼の文章が読めますことを・・・。