高度印象型社会

作家赤坂真理が2005年の予感として、今年見えた10年後は…ということを朝日新聞コラムで書いていたそうだ。それを誰だかのブログで見た。
それによると、耐震強度偽装にしろ事件の「消費のされ方」に興味がある、と彼女は言う。
続けて、「司法改革として裁判員制度が導入されるというが、その時には、法廷も劇場化し、世間の目という無責任な印象論が人を評価するかもしれない。その法廷では人は印象や大衆的支持の多寡で裁かれる。高度印象型社会の予感がする」。

彼女は作家だが、慶大で法学を学んでいる。その彼女の実感としての「印象型社会」と名づけた現象にちょっとゾッとするものがある。「小泉劇場」とマスコミが名づけたように、すべてが実感のない物語になっている。そこで演じられたものを鑑賞し、「ああおもしろかった」、「ああ悲惨だった」という感想で、片づけられてしまう。事件はいくらでも起こる。まさに消費である。

また『拒否できない日本』(関岡英之)を読んでいるものだから、この動きもアメリカの何らかの影響の結果ではないかと想像がいってしまう。弁護士の自由化(?)を推奨している米国。果たしてこのことと、裁判員制度などの法制改革とどう連動していくのか? 興味深い。