プロレスとTVと戦後

このところ更新頻度が下落がしている。書きたいことがないわけでは決してない。実は他のサイトに時間をさいてしまっている。コメント的に書けるそのサイトは、やはり書きやすく、まずそちらに情報を書いてしまうと、丁寧に書きたいと思っているココへの気が引いてしまうのだ。言い訳である。

さて、森達也氏の最新書き下ろし『悪役レスラーは笑う』(岩波新書)が出た。悪役レスラーは笑う―「卑劣なジャップ」グレート東郷 (岩波新書 新赤版 (982))サイン会に行った。森氏は一人ひとりになにか話し掛けている。そしてその所作はサインマシーンのようではなく、どこか手馴れていない。それがいい。森さんの体温が感じられる。


本書を読み終えて、さまざまな感慨が残った。昨今格闘技は盛んになり、女性のファンも多いが、そのころのプロレスファンは圧倒的に男性だった。従って女性である私は全く興味がなかった。だが、『下山事件』以来、戦後の出来事に興味を持ちはじめ、戦後の焼け跡とTV創世記という条件に適い、人々を熱狂させたプロレスというものの背景に興味を持った。

ドキュメンタリー監督である森氏は、少年時代からプロレスファンである。彼は卑劣この上ないと言われていた悪役レスラーグレート東郷に対するふとした疑問から、彼を追い始める。が、日系二世としてアメリカに拠点を置いていたグレート東郷、彼はすでに亡く、活躍した時代の人々も故人になっている人が多く、情報が極端に少ない。そんな暗中模索からのスタートだった。(彼は情報の少ない、謎の多い題材ばかりを、なぜドキュメントする?)

全くプロレスに関心のない私だったが、ピンとこないままに読み進むうちに、謎が生まれてはそれが徐々に解かれ、まるでミステリー小説のようにいつしかその展開に引き込まれていた。悪役レスラーを追いながら、力道山をはじめ日本プロレス界に出入りしていたレスラーの出自、関係が次第に浮かびあがってくる。同時にプロレスという競技世界における興行の仕組みも垣間見えてくる。想像が今につながるおもしろさ。

結果としてプロレスはTVという新しいメディアとの親和性を発揮し、焼け跡から新生日本へ、さらには高度成長日本へと日本人のメンタリティーを引き受けていたことに気づく。打ちひしがれた日本人のメンタリティーを引っ張ってきた。もちろん復興は政治や経済、文化や芸能の統合された結果だ。しかしその時代のプロレスが担っていた役割は少なくはなかった。

日本人のこころを投影し元気づけたヒーロー。だがヒーローを成立させ、試合をおもしろくさせたのは、ヒール、悪役の面々だった。それら興行の手配を請け負っていたのが、悪名高いグレート東郷だったのだ。彼について思わぬ関係がいろいろと浮上してくるが、ここでは書かない。

読み終えて、当初は想像もしなかった感慨が残った。
プロレスは、敗戦によって打ちひしがれた日本人のメンタリティーを再び取り戻した。その日本人のナショナリズムを芽生えさせたのは皮肉なことに日本人ではなかった。日本人を元気にしたのは、複雑な出自を持つゆえ国を越えたレスラーたちであった。

いつも森氏の作品は人の哀しさが残る。