複雑性の複雑

昨日今日と、科学と創造性の講義。
木曜日は複雑系の物理学者池上高志さんのお話を若きアーティストたちと聞く。彼は現代音楽家とのコラボレーションで音作りのプロジェクトに参加されている。機関銃のように早いテンポで講義が進む。(おもしろかったという感想はあるが、文字化できそうにない)

彼が複雑系の道を進むきっかけとなった話がおもしろかった。(ノイズやカオスの分野のこと)ランダムな入力をしていくと、ある図形が現れる。予測できないが、図形にはある規則性を感じることができる。それを解析することは、決して不可能なことではない。しかし、ランダムな図像でも、曲線になっていたり、途中で途切れていたりする図像(クラス4。よく目にする図形だ)に出会ったとき、彼は今までの思考では追いつけないものを感じ、ショックを受けたという。(ああ、上手く説明できないな・・・)。

その前にこんな話をされた。
○,△の入り口のミツバチの巣箱を作り、○の入り口から入ると蜜にありつけるとすると、ミツバチは次にもまた○の入り口に入るという実験結果があり、そこからミツバチにも同一性認識能力があるとされている。しかし、その実験からは第三の入り口◇が出現した場合、どんな行動をするかは、予測できないこと。従って、対象が、学習していないものに遭遇したときどんな行動をとるのか、それを見ていくことが重要。・・そんな話をされたので、それにつながる方向の話題だと解釈してほしい。

とっても乱暴に言ってしまうと、インプットとアウトプットの間にいかにランダムなブラックボックスをもてるか、それがクリエーターには大事、ということを言われていた気がする。で、そのブラックボックスについては、無規則性、非線形なものには、不安定な居心地の悪さがあるが、そのような不安定な居心地の悪いダイナミズムを、そういったズレをどのくらい用意できるかの問題になる・・・

たぶん、そのための姿勢についてを彼は言っていたのではないかと思うのだが、こんな言葉の対比を出されていた。story-orientedと、texture-oriented。story性とは文脈にも通じるのかな。例えば、コクトーのような線の図版があったとする。哀しげな少女に寄り添う青年というように、普通は受け取り、何が描かれているか、何が表現されているのかを感じている。しかし、その視点を壊して、線そのものの動きを見る。そんな態度が、より創造的なブラックボックスを持つことに通じる。そのことに関して会場から質問が集中した。
今までの回路とか癖、構造をいかに壊して、いかに新たな見方で対象と向き合うか、そのための態度だと私は解釈した。

伝わるような言葉を持たないのがもどかしい。だが、まずは実際に彼がコラボしている音作りを体験してみなければ、私自身、実感が湧かないな。