“学び”の原型 -まとめ1-

論語』を読むのも、あと一月を残すばかりとなった。はて、なにを得てきたのか? そらんじることも、言葉に現すこともできず。だが、たしかに身体で感じとるものはあった。「へぇ、そうなんだ」の連続でもあった。
11月は第19・20章。
今回のは長いものが多く、全文引用はちょっとしんどい。漢字の記述もできないものがあり、さてどうまとめよう。
19の23・24・25番目を続けて読む。ここでは孔子を比較・批判している文章が続く。孔子は妬みや批判もされたということであろう。

魯の役人が、孔子より弟子の子貢の方が賢っているのではないかと言っていると、やはり役人が弟子の子貢に告げる。また子貢の弟子筋にあたる陳子禽が(直接孔子を知らなかった)、孔子に対して謙遜しているのではないですか、子貢の方が賢っていますのに、と告げる。

それに対し、子貢は「宮ショウ(塀の)」や日、月に喩えて応えている。当時宮とは一般の家の意味で、子宮の由来も子どもの家という意味合いからきたのではないかと言われた。なるほど。室家は宮の内、家の内部。
子貢は「孔子先生のほうが賢っています。家に譬えれば私の家のショウは肩くらいの高さで、悟りが浅いので、中の様子を容易に見ることができます。しかし、孔子先生のは高くて中が見えません。しかるべき門から入り、はじめて奥深さがわかるのです」。
24では「先生を謗ってはなりません。人の賢さは譬えても丘程度。超えて行けますが、先生は太陽や月ですから決して越えられませんし、どこに行ってもその影響を受けねばなりません。そして己の分量の至らなさが顕わになるだけです。先生を謗ってはなりません」。

と子貢がいう孔子先生は、ではいったい誰によって学んだのか?という問いが生まれます。C講師は22番を読みました。
衛の公孫朝が子貢に問う。答えて曰く
【文武の道未だに地に堕ちずして人に在り。賢者は其の大なる者を識し、不賢者は其の小なる者を識す。文武の道あらざる莫し。夫子(ふうし)焉(いづく)にか学ばざらん。而して亦何の常の師か之れあらん。】
文武=文王武王。文は書物、武は生活。古来から書物や暮らしを通して、教えは伝えられてきた。この「武」という文字が生活だとC講師は解釈された。そしてこの段を「すべての場所が学び。すべての人から学べる。」とまとめ、「どこにあってもどこにもない」という真理に通じるものがあると言われる。ここにきて、急に言葉に親和性が出てきた。いまの自分と関係づけられたというのか・・孔子の姿勢を感じることができた気がする。

ということで、今回はこの辺で。(つづく)