担当者の小林秀雄観「感想1」

恒例の茂木健一郎氏の講座。今期のテーマは「脳と文学」ということもあり、今日は小林秀雄の担当編集者であった池田雅延氏をゲストに迎えての特別枠。小林秀雄全作品〈27〉本居宣長〈上〉
池田氏は1970年に新潮社に入社。この年は万博があり、よど号事件があり、三島割腹事件のあった激動の年。そして、翌年の6月、弱冠24歳の池田氏は69歳の小林秀雄の単行本編集担当者となったのである。当時雑誌『新潮』に本居宣長連載の6年目を向かえ、その後6年間弱続くわけであるから半分を書いたところ。当座は単行本の話はなかった。

しかし、彼は担当を引継ぎにあたり前代の(彼は4代目)坂本氏に「取材はもとより日常から尽くし尽くせ」とアドバイスされる。その教え通り用事がなくとも月に一度は小林宅を訪れ、観光から冠婚葬祭までをつき合ったそうだ。そうすることで、小林氏が何を考え、何をやりたい人なのかがみえてくる。

携帯もFAXも、電話もままならない昔のこと、無駄足を踏むことは多々あった。最初に小林秀雄池田氏にかけた言葉は「何か用かい?いま宣長さんと話しているから、君と話している暇はないんだ」と、ぴしゃりとしたもの。これでもいいほうなのだそうだ。

そして、池田氏が30歳にならんとする頃、連載が長いと風評のあった宣長連載に関して「宣長さんのイメージが変わってきたのですが?」と聞いたのだそうだ。すると、「いや、最初直感したものとちっとも変わっていない。くわしくなってくるんだよ」と言われたそうだ。小林氏の言われるくわしさとは「詳しい」ではなく精密の「精しい」の意味であるという。そして池田氏はその問いを小林秀雄に向けたことを恥じた。(つづく)

ここまでのお話だけでも、小林秀雄の作品への向かい方が想像され、その後もぐいぐいと引き込まれていったのである。