“その人の時間”が形になる

My Birthday。朝のうちに母とツレからメッセージが届く。

今日はunaにて「羊から糸」のワークショップ。その前に12月展示の作家さんと会う予定。室内は混雑。庭のベンチから「お久し振りでーす!」とKさんがピッタピタのサイクリングスタイルで挨拶する。「いま自転車に乗っているんですよ」と自転車談義。意外に気軽にできて、気持ちいいらしい。キヨシロー様も乗っているし、室内でのエクササイズよりいいかも。気持ちが動いたとき、「でも痩せませんよ」とグサッと刺される。

さて、羊の原毛から糸を紡ぐワークショップである。
講師のYさんは岩手で羊と暮らしながら、手仕事をしている友人。まず羊についてのミニ知識。それから毛狩りをして洗ってあるほわほわの原毛を手にとり、まず膝をつかってこより状態にして、スピンドルという紡ぎゴマに巻きとる。左手(右手でも)でコマを持ち、右手に繊維の方向をそろえた原毛をはさむ。糸に近い方を親指と薬指、原毛の方を人差し指と中指ではさむ。

そして、いよいよコマを回しよりを入れていく。だんだんよりがましてくると、親指によりの硬さが伝わってくる。そこで手を離すと、人差し指までよりが自動的に進む。そしたら人差し指の方で原毛を引っ張り出す。そしてまたよりをかけていく。

その繰り返しなのだが、コマをまわす手と原毛を引っ張る手を同時に動かしながらリズムよくするのが、難しいのだ。最初は糸が切れたり、よりが戻ったり、ほんとうにもたもたしていたが、ある時よりが指に伝わり、放し、よりが進むというタイミングを体得する。すると、一連の動きが自動的になっていくのだ。と言っても、まだまだスムースではないが、その感覚を感じることができた。「きたきたきた」という感触がたまらないのだ。

この単純で膨大な繰り返しから、敷物や衣服、袋など生活必需品が生まれてきたのだ。“その人の時間”が形になっている贅沢な品々だ。大事にする気持ちが生まれるのは当然のことだった。いまその人の時間が形に見えていることは、極めて少なくなっている。感想がとっても楽しい。後ほど紹介。

ところで、糸とはつまりはよりをかけたものだということを、いまさらながらに気づいた。綿、絹、ウール・・・が、よられ、編まれて、木綿布や絹布、毛織物になるのだ。そう考えると、猫や犬、人間の毛、植物でも、糸にして形にすることは可能だということ。(実際記念などで、猫や人の毛を糸にすることはあるそうだ)そもそも、糸という象形文字は、繊維をよっている形を現しているではないか…。あたり前のことを感じなおす。

その後、参加者のみなさんとSくんの料理を堪能、感想を言い合う。帰りがけ講師Yさんと電車に乗って気づいた。「そう言えば今日は私の誕生日だったんだ!」。「えー!おめでとう」パチパチパチと拍手をしてくれた。こうして年齢は一つ更新されたのでした。