さわさわと重ねられる人生

昨日から片づけものをしている。書物・資料類が溜まりに溜まり、読みたいときに手にできないことが増え、不要なものの判別もできなくなっていた。ついに書棚を買い足した。家人には家具を増やすなと言われている。収納が多いと物が増えるから…。道理である。でも、不便に財布が緩んだ。今日が配達日である。
手をつければ大変なことになると遠ざけていた資料を少しだけ点検整理した。いくつものファイルや封筒には入れてあるのだ。それをさらに、いま、将来必要なのかどうか…。捨てようと封書の中をのぞくと、ある詩が目に止まる。友人の書いた文章に紹介されていたのだ。それを読んで、いい詩だと私も思った。ふと、また目に止まる。改めて読んでみると、情景は、まさに“いまの時季”“いまの時刻”の詩だった。

   洗濯物
洗濯物をたたむほどのことに/人生はあるのか 
三年間をかけて/そんなことを考えていた
 
この頃は/もう考えない
夕方/よく乾いた洗濯物を取り入れ
まだ陽の匂いの残るそれらを 正座して
一枚一枚/なるべく丁寧にたたんでいく


その日/その秋の私の人生が一枚一枚たたまれて
さわさわとそこに重ねられて


山にはもう/十三夜の月が出ているのだ
              (山尾三省

片づけている私の背に差し込む陽の暖かさが、洗濯ものに残るあたたかさに重なる。薄日になって、少しひんやりした空気。秋の入日に向かうちょっと寂しげな時間。「洗濯物をたたむほどに人生はあるか」という出だしがこころを打ったが、今回は丁寧にたたまれた何枚かの洗濯物を前にした“私”と十三夜の月、そのことが気にかかった。

こういう思いがけない出会いが捨てがたく、荷が重なっていくわけですな…。