問題の質

夜はべてるの家((http://www.tokeidai.co.jp/beterunoie/))のビデオを観る。unaスペースで恒例になっているもので、何度も観ている。音楽のように何度でも観れてしまう。なぜだろう。
映画も本もそうだが、それを観る、読む、そして感じるというのは、それぞれ違ってくる。主観の問題だ。それぞれのなかで起こることで、本人次第。同じものを観ていても、本人がどういう状態かによって、その作品から何をピックアップするか、何がこころを揺らすか…は毎回微妙にちがってくる。人のこころは刻々と変化しているのだから、あたり前なのだが。気づかなかったものが突然みえてきたり、聞こえなかった言葉が突然こころに響いてきたり。

今日感じたのは、精神の病いを抱えながら自立を考え続けた10年という時間の流れ。時を隔てた人たちの顔に、その間に流れた短くはない時を思う。環境や状況が変化していくなかで、問題も新しくなっている。精神障害を生きるという、消えることない問題を抱えながら、問題の質が変化し、更新されているという意識。それが新鮮だった。

問題はどんな人にも起き、消えることはない。しかし、それが案外、存在を支えているのかもしれない。だって、何をやっても何を欲しても障害がなかったら、自分を確認することがなくなるわけで…。つまり<自分>という実体を感じることができなくなる。
問題がなくならずに、次々に降って湧いてくるのは、それが存在にとって必要だから。問題は消えないが、問題の質が変わり、更新されていく。そう考えると、問題は極めて未来的になる。