味覚と記憶

台風が一段落した様子なので、新宿まで出かける。実家からネクタリンが送られてきた(台風の前に収穫されてよかった)。ネクタリンは桃の一種で、傷みが早い。産毛はなく、赤が濃く、味も酸味があり、濃厚である。さっそくSに届けた。「超まいう〜!」というメールが返ってくる。

桃より傷みにくいので、毎年送ってもらう。私が育ったところはあんずと桃が取れた。もちろんりんごの産地である。桃は時期も短いのであまり食べれなかった。夕暮れどきに外から帰ってくると、台所には水を張ったボールに桃が4つプカプカと浮かんでいる。「触っちゃだめよ。夕飯のあとのデザートなんだから」と母に言われて、「わかってる」と返事をする。赤に近い桃色というより、白桃だったのか、薄いクリーム色に、おしりの部分だけ、はにかんだようなほんのりした桃色がかかっていた。

私はしばし、流しのシンクのヘリに手をかけ、目線を低くして桃を眺める。一面にやわらかそうな産毛が生えている。産毛で水がはじかれて、ところどころ銀色にひかっている。出ている桃の頭をつついてみる。ぷかぷか、くるくる舞いながら、だんだんに銀色が水に馴染んで消えていった。

待ちに待った食後。小さく切って皿に盛るときもあったが、まるまんま一つ食べられる時もあった。手で皮をつるりとむいて、汁をこぼしながらほおばりつく。おいしかった。一山4つの中には必ず一つまだ硬いものが入っていた。大抵母が食べた。それを言うと「おかあさん、硬いのが好きなんだよ。美味しいよ。食べてみる?」と笑いながら、包丁で皮をむき、小さく切って食べていた。硬いのも不味くはなかった。小学生の頃のことだ。

いまは地元の桃は手に入らないので、何年も食べていない。熟して木から落ちたあんずももう何年も食べていない。それが混ざり合ったようなネクタリンの味覚から、桃の記憶とあんずの記憶が引き出される。