出入りする感情

午前中、ゴミと荷物を手一杯持ち、玄関を出る。ゴミを捨て、コンビニで荷物を送り、電車。
車中で読みたかった本を忘れてきた。そういうときの無念な気持ちったらない。楽しみを自分のミスで逃し、その時間をほかのもので代用するという、もったいないような、口惜しさ。「読みたいと思う本を電車で読む」ということは、私の至福順位の中でもかなり高位置にある。それを逸するのだから、なかなか諦められない。荷物は二つのことが多いのだが、あっちでもないこっちでもないとガサゴソと二駅分くらいはやっている。その間ジャケットを落としそうになったり、汗を拭いたり…と、まるで多動症。隣の人は「こいつ、座るなり何やってるんだろう」と落ちつけないだろうにと、一応周りを気にはしているのだが…。

そういうことが、ままあるので、大抵複数の本を携帯している。で、今日は橋本治『これで古典がよくわかる』があったこれで古典がよくわかる (ちくま文庫)。これから「『論語』を読む会」があるので、『論語』と一緒に入れてあったのだ。今年は講師のCさんの提案で『論語』を読んでいるが、ずっと『徒然草』を読んできている。古典はわからないと言われ、敬遠されてきたが、なぜいま古典なのかということが、橋本流の道筋で書かれてる。毎度のように「な〜るほど、そうだったのか」ということがらたち。いつのまにか、あの悔しさと残念は消えている。

unaに行く前に銀行と郵便局。まず窓口で一番安価な発送方法を教えてもらい、呼ばれた窓口に行くと、若い女性の局員の言う値段が違う。「さっき○○で送れると言われたのですが」と言うと、「それなら書籍扱いなので、中を見せてください」と言われる。「中って言われても、封してあるし…」と躊躇していると、「ガムテープありますから」と言う。せっかく透明テープできれいに包装してあるのに、ガムテープはなぁ…と思う。すると「もしくは中を見れるように一部を切りとってあけてください」と言われる。折りたたんで梱包してあるダンボールのどこを切ればいいのさ?切っても中が見えないかも知れないし…とまたまた困惑。すると「では、今回だけは特別このままで結構ですから」と言ってくれ、ことなきを得る。私は別に値段に固執しているわけではなく、ダメならほかの方法でもよかった。ただ彼女の指示が実際的だと思えず、躊躇してしまっただけなのだ。

そのときの彼女の感情の様子がおもしろかった。そっけない応対が続き、最後イライラっとなりかけたその瞬間、発想の転換が起きた。今まで積み重なった負の感情を遮断し、新しいレールに移行したのだ。そして「今回だけは…」という提案の形となった。その瞬間、高圧だった気がふっと抜けて和らいだ。

その後、古典に触れながら豊かなときを過ごし、M氏と焼き鳥付き打ち合わせの後、スタッフミーティング。これまたスタッフの美味な手料理、アルコール付き。帰宅と同時につれに電話を入れる。本日は彼の何度目かの年齢更新の日であったのだ。日付変更15分前のすべり込みセーフ!