茂木健一郎先生

東大教養学部池上高志先生のアレンジした物理の公開授業に行く。
少し早めに行き、民藝館側にあるカフェでオリーブオイルを買う。サラダを食べたときにビネガーなしでも美味しかったので、買いに来たいと思っていたところ。ちょうどよかった。そして東大生協へ。unaに来てくれているI氏がいるのだ。ちょこっと挨拶。

教室に行ったらもう満杯。ゲスト講師は茂木健一郎氏。認知科学、心脳問題の「いま」を統合的に話されたのだが、さすが科学者茂木健一郎面目躍如といったところ。いつもの一般人に対しての講座は、文学、音楽、絵画といった、文化や哲学の側面からの切り口が多いのだが、それとは違い、専門分野に踏み込んだ本質的な話。なかなかよかった。東大の物理学専攻の学生に対しての話は、未来の有望なる物理学者に向けて、研究者としての態度を説いていたと思う。彼のメッセージともなっていたから、かなりの本音トーク。それに一切画像は使わず、板書のみ。質問も専門的過ぎてわからないものばかり。ではあったものの、それでもいくつか印象に残ったことがある。

トンチ問題と、anomaly(異常項)、neural conelate。知識&理解不足為説明不能。これらは物理だけに限らず、研究者のスタンスを本質的に語るものだと私は受け取った。例えば、トンチ問題とは、トンチのような問題は解くのはおもしろいが、それを説いても、本質の問題解決にはならないような研究テーマのことらしい。
気の遠くなるようなかすかな光を信じ、コツコツ研究することは、条件的に難しい現実があるだろう。けれど、それだからといって、トンチ問題が主流になってしまっては、物事の本質からズレていく。それらのことは、分野を限らず言えることではないだろうか。

anomaly。一つの発見があり、パラダイムチェンジが起こって初めて認識されるものがある。例えばニュートンがリンゴの落下から万有引力を発見したわけだが、万有引力はその前にもあったわけである。それが、ニュートンの発見によって初めてそれと認識されたということ。リンゴが落ちることを“あたりまえ”としなかったニュートンであった。「前提を問い直す」ということの重要を感じる。

前提を問い直すということで言えば、例えば「日本人は特別」ということが言われているとする。そこで何が特別なのかと問う。日本語。日本語の何? 音と訓がある読み方。となった場合、最初の主語を「日本人」としたことで、曖昧なままでやり過ごしてしまう危険性がある。それを「日本語は」という主語に置き換えていく作業の重要性。

他におもしろいと思ったこと。例えば、人の感情などといった個人差のある研究において、個人差があるとしてNと記述しまうと、研究は先に行かない。そこをなんとか普遍的概念での記述を試みるという研究の方向性(具体的な理解までは手が届かず…)。
科学のデータはある条件のもとという前提があり、正確を記すために、そこに如何に物質の個性を反映するかという方向があると聞くが、それとは反対のベクトルだ。明確に言語化できず歯がゆい思いがあるが、この世を正確に記述するって、大変なんだなぁと思いつつ、そんな困難なテーマに立ち向かい、日夜研究にいそしむ人々の面白みを感じたことだった。