インフォームド・コンセント

義母の手術は無事に終り、回復も順調である。翌日には歩いたそうだ。
で、その手術の前に麻酔科と外科の医師より説明があった。本人を交え、三人で伺った。この説明はいわゆるインフォームド・コンセントというものだ。資料もあり、とっても丁寧かつ詳細な説明を受けた。(今どき高飛車な医療者はいなくなった。みんなやさしく丁寧な言葉使い)なのだが、ちょっと思うことがあった。

どうもインフォームド・コンセントというものに、前々から懐疑的な気持ちを持っていた。「説明と同意」ということなわけだが、なぜそれをやるのだろうという事が、どうもしっくりしないからだ。何のために?誰のために? 患者さんが納得し、安心して手術を受けられるように。そして術後なるべく早く回復できるように。私はそう思っている。もちろん家族に対しても同様のこと。それにはもちろんリスクも知らせてほしい。けれど、それもなるべく不安をなくし、医療者に身を委ねられるために、である。

ところが、今回「やっぱりなぁー、こういうことがひっかっていたんだよな」と強く思った。麻酔科の説明担当医は、非常に納得できる説明をしてくれた。納得というのは、手術のシステムと方法に関してである。ところが、リスクに関しての説明で、いっぺんに暗く重くなってしまった。方法がABCとあるとする。Aの場合はこれこれで、痛みがでる場合があるので、広い部分の麻酔となると、急激な血圧低下がおき、危ない。Bの場合はこれこれで、高齢のため、目覚めないことや、自立呼吸ができなくなる場合がある。と、マイナス情報をこれでもかと流し、さらには医師側も迷って決めかねていると言うのだ。「お歳がお歳ですから…」そればかり。また外科情報の交換はあまりなされていない様子。

そのような情報を受けた患者自身、家族は果たして安心して手術に向かうことができるのだろうか。それを聞いて私達にどうしろというのか。たとえそういう状況が懸念されても、伝え方やフォローの仕方というものがあるだろうに…。伝わってくるのは、安心のためのインフォームド・コンセントというより、責任などのトラブル回避というニュアンス。これでは病院側も損でしょう。言葉の丁寧さより、医師側にもっとカウンセリングマインドのようなものを身に付けてもらいたいと、強く願う。説明担当医という担当があるんだから。

幸い義母は楽天的に物事を捉えるタイプだったから助かったけれど、我が母を思うと、それだけで落ち込むね、絶対。情報を万人に対して、均等に開示することが果たして有効なのか。状況や人をみて、判断してほしいものである。少なくともあれは家族だけに話すことだったのでは。