花粉症と精神病

野村進著『救急精神病棟』は一気に読めた救急精神病棟。当事者の人たちがどんどん発信している「べてるの家」とはまた違った視点が提供されているべてるの家の「非」援助論―そのままでいいと思えるための25章 (シリーズ ケアをひらく)。精神病の救急外来というのは、ほとんどないと以前K医師が嘆いていたことがある。切迫した症状は、実は時間外に起こることが多いのではないだろうか。野村氏のルポしたのは唯一公立だという千葉の医療センター。センター長の計見一雄は『脳と人間』という著書を出す、有名な方だった。(そう言えば先に友人貸したまま、まだ返ってこない…)
いつも驚くことだが、専門化された分野の間には、ほとんど交流がない。それを計見氏は脳科学の視点を取り入れているということだ。(素人考えでは精神疾患と脳の研究がリンクするのは当然と思うのだが…)その彼が長をしているセンターは、全国レベルでは画期的なことをしているらしい。例えばセンターのレイアウトの工夫。ちょっとしたことのようだが、なにを大事にしているかが伺える。そう、「なにを大事にしているのか」が明確ならば、自然に患者さんとの対応にも見られるということ。
しかし、計見氏は医療者としてあたりまえと思えるシステムが、なぜ広がらないのでしょうかと、取材する野村氏に何度かつぶやくのである。そういった苦悩は先駆的な試みをしている他分野の人からもよく聞かれること。門外漢からみれば簡単明瞭なことでも、当事者にすれば従来の観念やシステムが常識になっているので、その思考から脱しきれない。その常識に立つかぎり、いつまでも不可能であり、非現実的、なのではないだろうか。

また精神科のたどった歴史が書かれていて、興味深かった。精神科に入院したら出て来れない。つまり治らない病気。そんなニュアンスを植えつけてしまった戦後の医療事情。経営者の中では「慢性精神病患者は病院の固定資産」と言われていたことがあった。つまり長く入院させたほうが儲かるというわけだ。そして急速にベット数が増えることになっていく。そういう傾向を作ったのには、「精神科特例」という規定が一因らしい。つまり精神科には他より医師、看護士の数がずっと少なくてもよいという条件。

日本がそんな状態の時に、世界は長期収容型から地域医療型に移行していた。しかし、タイミングの悪いことに、そんな折り、ライシャワー事件というものが起きたのだそうだ。駐日大使だった彼が、精神病の青年に刺された。以来、精神病患者は危険という意識と偏見を呼び覚ました。・・と、その間の流れを知ると、病棟は救急に限り、なるべく患者さんが復帰できるように努力しているセンターの姿勢は明快である。

症例については、プライバシーの問題があるので、なかなか苦労したようだが、十分に様子が伝わってくる。たくさんの事例が挙げられているが、そのなかにグイッと引かれる言葉がいくつも引用されている。ある医師が「分裂病統合失調症)とはありとあらゆる手段で自分を抹殺しようとする病気」と言う。だから、人にわざわざ嫌がられる行為をする、制裁が加えられると、攻撃し、孤立する方向に自らを追いこんでいく。この見解は衝撃的だ。病気ではなくても、確かにそんな人いるなぁー。そういう視点で人を見てみると受け止め方が違ってくるかも知れない。

ともかく昨今、精神的な疾患になる人が増えていることは、確かだ。花粉症のように、特別なことではないくらいに。何のために、なにを防衛するために・・? 彼らにとってスギ花粉のようなアレルゲンはなんなのだろう。誰でもが明日なるかもしれない花粉症と意外にシステムは同じかも知れない。