小理屈・屁理屈

昨日、黄色スズメバチの生態を知って、哀しい宿命を感じたと書いた。
例えば女王蜂は一年の寿命のなかで、万単位の卵を一つひとつ産み付ける。産み終われば、命を終える。オスなんてまさに一回の交尾のためにのみ生まれ、生きる。
確かにそのことを思うと、健気だとか、報われない生だとか、哀れだとか・・という感情が起こるのは、普通の反応。

けれど、考えてみると、それって人間の生態との比較であり、人間世界の物差しでの判断にすぎないわけだ。ハチとしたら「あなたたちの価値観で、勝手に判断され同情されてもねぇ。迷惑な話だわ」と思っているかも知れない。

ハチの一日は人間の一年に相当するかも知れないし、例えばセミのことで言えば、地中での状態がセミにとっては、一番至福のときなのかも知れないじゃない。

彼らに抱く感情は、本当は無意味なのだ。ところが、それと知ったうえでもなお、彼らの生に対する態度に感動を抱く。それはなぜか。きっと彼らのなかに、全てを引き受け、ひたすら生きるひたむきな姿を身い出し、勇気づけられているからではないだろうか。私的にはそんなところである。