自明ルールの変換

スナック菓子のスコーンを買ってきた。家人が食べるのを見ながら、「スコーン、スコーン、スコーン」という音が頭の中で鳴った。その掛け声と手拍子でダンスをするCMを思い出した。佐藤雅彦氏の作品らしい。『毎月新聞』にいきさつが書かれている。毎月新聞彼はダンスの掛け声のルールを「スコーン」に変えてみたのだ。

コミュニケーションは言葉のルールを共有していないと成立しない。「よーいドン!」と言えば、走り出すときの言葉として共有されている。「もしもし」というのは電話の最初の挨拶として。地方によってそのルールは多少違ってくるが。「もうかりまっか」の言葉を大阪以外で使うと、そのままの意味としてとられて、相手をまごつかせるかもしれない。

その自明のルールを逆手にとって、佐藤氏は「スロースロー、クイッククイック」というようなダンスの掛け声を「スコーン」に変える試みをCMでしたのだそうだ。

そう考えると気がつかないルールがたくさんある。あたりまえのルール、自明のルール。そうか、佐藤氏はいろいろなところにルールを見出して、それを置き換えることをしているのかもしれない。彼の映像の作品に、ランダムにしか見えない点とか線の動きがある。規則性もなく、なんだろうと見ていると、ある時突然例えば私たちの知っているピアノが現れたりする。私たちが通常認識している局面とは違う切り取りをしているのだ。そのことに、通常認識しているピアノの姿が現れて初めて気がつく。それが私の脳にとって、またとない快感なのだ。

座標軸とか、空間とか、よくわからないが、レールとか階層とかが全く違うという感じ。そのコンセプトを「スコーン」のCMに反映させると、ああなる。

あたりまえのルール、自明のルールとは常識とか共通認識と言い換えてみると、哲学の世界のことになる。深いナァ。