繊細だけど不確かな身体

昨夜「爪が伸びているな、そろそろ切らなくちゃ」と思った。今日、出かけようとするとき、「あ、爪」と思った。が、時間がないので、そのまま出かけた。駅に向かいながら爪の長さが快感情の限界を越えていることに気がついた。昨日はそれほどではなかったのに、一晩で不快な感覚になっている。一ミリの何分の一ほどしか長さは伸びていないはずである・・。ところが、「許容できる」から「許容できない」に感情は変化してしまう。不思議だ。

どこで察知し、どう判断を下すのだろう。電車の中でふと見ると、人差し指の爪の先端が欠けていた。伸びすぎているという感覚(判断)は、このようなことにも関係している気がする。

かと言って、その感覚は極めて私的な基準だ。私の爪の強度や生活スタイルから生れたスケールであり、ネイルアートを施している人にとっては短いくらい。私自身マニキュアをしていたときには、もっと伸ばしてもいた。「早く伸びないかナァ」と思っていた程度の長さなのである。

つまり、身体感覚は絶対ではないということだ。からだだけで判断が行なわれているわけではない。五感と言えども、その判断は、背後の文脈に作用されている。身体感覚を絶対的感覚として頼りすぎるのは早急かもしれない。