ゼロの強み

朝起きた直後に考えていたことを取り出すと、結構面白い。まだワープロを使っていたときは、私の机がすぐ横にあり、そのまま書き出すことができた。いまパソコンは電話線のあるリビングにある。起きて着替えて朝食の準備など、と動いている間に、忘れてしまうし、脳もすっかり日常モードになり、その発想に対する新鮮な感動も薄らいでしまう。

で、今朝は「ゼロの強さ」なんてことを思っていた。それは関係性に関してのこと。例えば関わりに関して、+や−や×、÷があるとする。相手がマイナスの符号を持てばどんどん自分が侵食される。÷になると分解とか壊わされるという感じだ。×は一見いいみたいだが、エネルギー過剰のため、振り回される。プラスはまあまあ妥当な影響力というところか。

関係性をそういう図式で考えた場合、相手によって右往左往しないためには自分が「0ゼロ」であることなんだね。特に自分を維持することが困難な乗除の関わりには有効。0では相手が×や÷で対応してきても、話にならない。いくら力を行使してきても、歯が立たないんですね。
例えば腹を立てるとか、抵抗するという行為は、すでに相手の数式上の数値として関わっている。相手のルールを採用していることになってしまう。事例としては公的な関係、外交などの場面を想起させますね。

そんなことを考えると、ゼロの考え方って全く違う観点だなぁ。改めてゼロの発見ってスゴイねー。因みにゼロの自分とは自分がないというのではない。自分があるからこそゼロになれる。関係を拒否することでもない。あるけどないの世界。むむ、なんだか禅の世界につながっていきそう。数字のメタファーで考えてきたことだったが、結果的に禅や瞑想の状態を言っているのかも…。ゼロがインドで発見されたというのも、なんだか納得。