僕のおじさん

中沢新一著『僕の叔父さん網野善彦僕の叔父さん 網野善彦 (集英社新書)をとても面白く読んだ。網野氏、常民を見出した網野史論の魅力が、圧縮保存されている感じ。中沢氏の叔父さんであることは知っていたが、彼の成育にこれほど影響を受けていたとは知らなかった。中沢家、途中から加わった網野氏と、リベラル、ラジカルな家系のなかで、中沢氏は豊かな知のシャワーを浴びながら育った。特に網野氏との数々の議論はやがて、彼の学問テーマを引き出していく。網野氏の研究テーマもまた、中沢家の兄弟との議論から誘われていったのだった。

章立ては代表的な著書を取り上げ、きっかけやエピソードとともに彼の視点が書かれている。<『蒙古襲来』蒙古襲来―転換する社会 (小学館文庫)まで>の章にある「飛礫」の項。学生運動佐世保港における原潜阻止闘争で、石を投げる学生の姿を見て、網野氏は飛礫(つぶて)の歴史的な意味に気づいていく。そこには「権力に石を投げる」行為として、アジア各地で太古から行なわれていた人間的行為だったとある。山梨ではその原型のようなものが行事として残っている。

『無縁・公界・楽』無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)からは「アジール」という考え方を取り上げている。いわば「治外法権」のような「場」のことだろうか。そういう場を設けてきた古人の根源的自由への希求。ここには今日的なヒントが潜んでいそうな気がする。改めて調べてみてもいいテーマだと思った。そして天皇制を絡めながらの、異類異形の輩、悪党、非人たちと、その役割。被差別の人たちの話であるが、最後に面白い見解がある。中沢家は山梨地方では名士の家柄。元々は紺屋で、徳兵衛という人はパリ万博にも出品したことがある職人で、人情家。人望が厚かったらしい。

しかし、中沢氏は関西では紺屋は差別されている事実を知る。なぜ?関東では差別されていないのに…。そこを網野氏も注目していて、東北学、縄文研究へとつながる。「中世前期にはまだ非人は差別されていなかった」。聖なるものにかかわる特別な人、人を超えた存在であった。とても興味深い見方である。

終章「別れの言葉」。彼にとって、大きな存在であり、大好きだったおじちゃん、網野善彦との別れ。甥である新ちゃんの無念、痛みが伝わってきて、こちらも辛くなるほど。「網野氏は人間を狭く歪んだ「人間」から開放するための歴史学を実現した」と中沢氏は言う。その瞬間瞬間に同席していた中沢氏でなければ伝えられないものがあるのだ。