きよしこ、の夜

頭の中で書きたいことが渋滞している。先頭がモタモタしているからいけない。アーティスト椿昇氏に出会って、スゴイ人だと思ったのだが、それをなかなか表せずにいる。スゴイなぁというクオリア言語化できないのだ。で、それは諦めていったん保留とし、前に駒を進めよう。

今日はクリスマスイブだから、この本について書いてみたくなった。
重松清きよしこきよしこ。朗読イベントで聞いて「いいなぁ」と思って、改めて読んだもの。著者の自伝的少年小説だ。「きよしこ」というタイトルは「きよしこの夜」から来ている。重松氏は清という名前もあってか、「きよしこの夜」の歌を「きよしこ、のよる」と甚だしく勘違いしていた。内容は彼とおぼしき小学校一年生の少年に起きるクリスマスのお話。
きよしこが星の降る夜我が家にやってくる。すくい飲みする子は、「みはは」という笑い声で胸をいっぱいにして、もう眠ってしまった。糸が安いからーー(歌詞を重ねながら想像してみよう)
ひどい勘違いだが、さびしい勘違いでもあると書かれている。
少年はどもり(吃音と言わなければいけないのかもしれないが…)だった。転校した日の自己紹介の時の出来事から物語が始まる。どもる言葉は決まっている。意識すればするほど、それが出てこない。他人の不用意な言葉に益々硬くなってしまう。だから聞きたいことがあっても、言葉を飲んでしまう。そんな少年の無念さやもどかしさ、さびしさが、きめ細かくリアルに書かれている。同時にそんな少年の内面の豊かさも知ることができる。

この小説を書くきっかけは、どもりの子どもを持つ母親が、重松氏のTVをみて「吃音なんかに負けるなと励ましてやっていただければ・・・・」という手紙をもらったことによる。彼は「どもりなんか」という言い方に寂しさを感じ、励ましの言葉は自分の中にしかないと、返事の代わりに、この物語を書いたのだそうだ。新潮社から出ている。