ケイタイを持ったサルと駆け足のロボット

HONDAのロボットが駆け足になった。なんとも可愛い動きだけど、スゴイー。人間がなにげなくやっていることが、ロボットには途轍もなくむずかしいということが想像できるからだ。

先日偶然、京都大学霊長類研究所 正高信男さん(『ケイタイをもったサル著者』)ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊 (中公新書)のTVを見た。
サルと幼児にマグカップを飲む仕草をしながら「コップ」と教え込む。サルはそれを見せるとコップと言語認識できるようにはなる。しかし、幼児はさらにガラスの手無しコップも「コップ」と認識でき、同じガラスでも、一輪挿しはコップではないと判断できるようになる。

それがサルには、そういうことは決してできないことなのだそうだ。
この事にたいそうショックを受けた。当たり前で気づかないけれど、幼児のそれってすごい能力ではないのか。コップという単語の背景(文脈?)までを認識しているということになるのだ。サルやコンピューターを研究していると、改めて人間のすごさ、不思議さに気づかされるのではないだろうか。逆に現代の人間のバカさ加減も…。サル→人間→ロボット それぞれにはそれぞれにとっての賢さをもち合わせている。
「なにげなくできていること」、ありがたいと思わなくっちゃね。