ルーティンワークの功

知人のコメントが載っているというので、『アエラ』を連続して買った。そうじゃなくても買っただろう。表紙が柳家花禄の兄さんと佐藤琢磨だもの。(女性の購読者が多いというから、ねらい通りってわけ)

そこに、久しぶりの戸井十月氏のコラムを見つけたチェ・ゲバラの遥かな旅 (集英社文庫)ゲバラの映画「モーターサイクル・ダイアリーズ」に関しての記述。戸井十月と言ってもわからないだろう。絵描きの故戸井昌造氏の息子さんだ。と言ってもよけいわからないかー。お父様は『戦争絵本』など本も出されていて楽しいかただった。何度かお会いしている。映画はいま恵比寿で上映しているがまだ観ていない。

で、琢磨くんの表紙の方だが、ルーティンワークのことが書かれていて、そこに内田樹氏がコメントを寄せていて、ちょっとビックリした。「ルーティンワーク」という言葉がダサいと思われていた時期がある。古臭いというような感触もあった。私も魅力を感じなかったのだが、ちょっとしたきっかけで、認識を新たにしていた。ひとつは梨木香歩著『西の魔女が死んだ西の魔女が死んだ (新潮文庫)という児童文学。不登校になった主人公に「毎日決まったこと」をすることで自分を取り戻すというようなことが書かれている。その時に「おや」と思った。いままで創造的生活と、ルーティンな生活が対立させていたような気がする。それでなおざりになっていたのかと。

最近、ホロコースト自死せずに最後まで自分を保っていた人たちは、どんな環境になろうと、日常を大事にしていたということを聞いて、「そうか」と思いを新たにした。劣悪な絶望的な環境に、自暴自棄になったり、恐怖で自らを死に追いやった人々がいる。しかし、そんな状況下においても、朝には顔を洗い、口をきれいにし、身支度を整える。そういうことをしていた人たちがいたそうだ。そんな折りの記事だった。はて、自分にはなにがあたるのだろうと考え、、しばし唸る。